最新記事

シリア情勢

内戦の趨勢が決したシリアで、再びアレッポ市に塩素ガス攻撃が行なわれた意味

2018年11月28日(水)19時20分
青山弘之(東京外国語大学教授)

反体制派は反論するが、欧米諸国は黙りを決め込む

反体制派は反論した。報復を約束していた国民解放戦線のアブドゥッラッザーク大尉は25日、「アサド軍は塩素ガスでアレッポ市の複数の地区が砲撃されたというウソを広めようとしている」と述べ、攻撃の事実自体を否認した。国民解放戦線の報道官を務めるナージー・ムスタファー大尉も「革命家たちがアレッポ市を砲撃したという主張、とりわけ塩素ガスを装填した砲弾で狙ったという犯罪者体制の主張を否定する...。シリアで塩素ガスを保有しているのは彼らだけだ」と反論した。

反体制系サイトのオリエント・ニュースアレッポの門も、「某医療筋」の話として、アレッポ市内の病院には有毒ガスによると見られる呼吸困難の症状を訴えた患者は搬送されていないと伝え、政府側の報道がフェイクだと主張した。

だが、反体制派の庇護者であるトルコの対応は冷ややかだった。トルコ外務省は25日の声明で、フルシ・アカル国防大臣がロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣と電話会談し、「最近の挑発行為が非武装地帯設置合意を阻害することを狙ったものだとの認識で一致した」と発表し、攻撃が行われたことを認めたのだ。声明によると、両国防大臣は、同様の攻撃が続いた場合の対応についても協議したという。

一方、欧米諸国は黙りを決め込んだ。2017年4月と2018年4月には、シリア軍が化学兵器を使用したと断じ、ミサイル攻撃に踏み切っていた米国は、国防総省が27日に、「シリア政府が偽りの口実につけ込んで、イドリブ県を攻撃しないようにすることが不可欠だ」、「化学兵器攻撃が行われたと疑われている現場を改ざんしないようロシアに警告する」、「公正且つ透明性に基づいた調査がされるようロシアに求める」といった控えめな声明を出しただけだった。

化学兵器使用の争点化に欧米諸国はことのほか無関心

化学兵器禁止機関(OPCW)のフェルナンド・アリアス事務総長は26日、「シリアに事実調査団を派遣できるかを探っている」と述べ、真相究明への意思を示し、シリア政府もOPCWに正式に調査を依頼した。た。だが、これまでに幾度となく発生してきた化学兵器使用疑惑事件と同様、塩素ガスが使用されたか否か、そして実行犯が誰なのかを特定することは容易ではない。OPCWの調査で何らかの結論が得られたとしても、それについて内戦の当事者たちがコンセンサスに達することはなく、真偽をめぐるプロパガンダ合戦が繰り返されるだけなのだ。

ただ、今回の攻撃に限って見てみると、こうした不毛なやりとりが行われる兆候はない。反体制派の化学兵器使用が争点となることに、欧米諸国がことのほか無関心だからだ。政府支配地域で起きた塩素ガス攻撃について反駁することは、シリア内戦の趨勢が決した今となっては、いかなる情報操作・拡散をもってしても至難の業だ。こうした困難に敢えて挑んだとしても、反体制派の中核となって久しいアル=カーイダ系組織を直接間接に支援してきた欧米諸国の黒歴史が蒸し返されるだけなのだ。

現下の最大の懸念は、ロシアとシリア政府が、今回の塩素ガス攻撃を口実として、一度は猶予したイドリブ県の反体制派支配地域への総攻撃を再開することだろう。だが、こうした懸念も当たらないように思える。

むろん、ロシア軍は25日に、シャーム解放機構を含む反体制派が活動を続けるアレッポ市西部のラーシディーン地区郊外一帯、ハーン・トゥーマーン村に対して、非武装地帯設置合意以後初めてとなる爆撃を行い、シリア軍も同地に砲撃を加えた。だが、ロシア・シリア両軍が攻撃を拡大する気配はない。トルコも、シリア軍の停戦違反を粛々と記録するだけで、ロシアとシリア政府に異を唱えようとはしていないのだ。

そこには、大規模な戦闘をもってイドリブ県の問題を決着させたくないという当事者たちの意思が見て取れる。内戦終結を見据えたロシアとシリア政府は、復興を軌道に乗せるにあたって、住民の間に禍根を残すような戦闘を好ましいとは思っていない。トルコも、自らが支援してきた反体制派が大敗を喫することや、シリア難民が再び国内に流入してくるのを避けたいと考えている。

こうした暗黙の了解のしわ寄せを受けるのは、結局のところは反体制派だ。そして、事態の悪化を回避するため、これまで以上に彼らを手なずけねばならないのはトルコである。その意味で、アレッポ市での塩素ガス攻撃は、ロシアとシリア政府が総攻撃を行う布石ではなく、両国に対してトルコを劣勢に立たせる事件だったと言える。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

GMメキシコ工場で生産を数週間停止、人気のピックア

ビジネス

米財政収支、6月は270億ドルの黒字 関税収入は過

ワールド

ロシア外相が北朝鮮訪問、13日に外相会談

ビジネス

アングル:スイスの高級腕時計店も苦境、トランプ関税
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「裏庭」で叶えた両親、「圧巻の出来栄え」にSNSでは称賛の声
  • 3
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 4
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 5
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、…
  • 6
    主人公の女性サムライをKōki,が熱演!ハリウッド映画…
  • 7
    セーターから自動車まで「すべての業界」に影響? 日…
  • 8
    トランプはプーチンを見限った?――ウクライナに一転パ…
  • 9
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 10
    『イカゲーム』の次はコレ...「デスゲーム」好き必見…
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 3
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 4
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 7
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 8
    アリ駆除用の「毒餌」に、アリが意外な方法で「反抗…
  • 9
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中