最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く

「弱者の中の弱者」の場所:アレッポ出身の女性に話を聞く

2016年12月26日(月)17時50分
いとうせいこう

アダムの言葉

 カラ・テペ難民キャンプにはその時点で500強の仮設住宅に1500人が暮らしていることを、俺はそのキャンプ全体の中心部に立ちながら聞いた。見回すとそれぞれの方向に道があり、砂ぼこりが舞い、点々とオリーブの樹が生え、子供たちが見え隠れし、その上を雀が飛んでいた。向こうになだらかな山並みが見えた。

 子供たちの後ろには親がいた。アフリカのゆったりした服、中東の白い着衣、西アジアの女性の腰に巻かれた布が目についた。色とりどりの、様々なデザインが行き交っていた。

 この豊かな国際性はなんなんだ、と頭が混乱した。国や文化を越えてひとつのエリアに住む者たち自体は、まるで世界共和国の具現化に見えた。それが砂の舞う太陽の下に、あたかもアメリカ西部劇のようにあった。

 けれど彼らはそれぞれの場所を追われてそこに逃げ込んでいるのだった。好んで国際的なのではむろんなく、世界そのものが各地で人を支えきれなくなっているからこそ、俺が目の前に見ている民族を超えた「町」が出現しているのだ。

 「ここはまだいい方だ」

 とアダムは俺の心を見透かすように言った。

 「彼らはファミリーのままでいられる。ただし誰かは必ず、拷問や暴力に遭った人。あるいは病人だ。弱者中の弱者がここに集まっている。そしてきわめて平和に暮らしている」

 俺は聞いて胸が張り裂ける思いになった。

 世界各地で傷つけられ、移動中に犯され、怪我や病にさいなまれ、今彼らは誰も暴力を受けない「町」に共存しているのだ。

 道を走って横切る子供がいた。

 オリーブの樹の影で椅子に座る老人がいた。

 住宅の前で女性たちが話し込んでいた。

 働き盛りだろう中年のアフリカ人がただ立って目を細め、遠くを見ていた。

 乾いた葉がこすれる音がした。

 黙り込む俺にアダムは言った。

 「ここに平和があるからといって、もちろんこういうキャンプがあってはならない。我々は根本にある問題の解決を望みながら、世界に訴え続けるしかないんだ。そしてその間、あらゆる傷に絆創膏を貼る

 その"傷に絆創膏を貼る"というのが『国境なき医師団(MSF)』の、彼ら自身を例える表現であることを谷口さんが教えてくれた。彼らは過酷な現実を外界に伝えながら、被害者たちの傷を癒し続ける。

 解決自体は各国の政治家が行わねばならない。だからMSFは証言と、必要なら訴えを怠らず、同時に現場へと赴いては"絆創膏を貼る"のだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏「米大学は中国人留学生なしでは苦戦」、支

ビジネス

三菱商、洋上風力発電計画から撤退 資材高騰などで建

ワールド

アングル:習主席、SCO首脳会議で結束演出へ トラ

ワールド

フィリピン中銀、政策決定発表を新方式に 時間30分
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 2
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 3
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪悪感も中毒も断ち切る「2つの習慣」
  • 4
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 5
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 6
    「美しく、恐ろしい...」アメリカを襲った大型ハリケ…
  • 7
    【クイズ】1位はアメリカ...稼働中の「原子力発電所…
  • 8
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 9
    イタリアの「オーバーツーリズム」が止まらない...草…
  • 10
    「ありがとう」は、なぜ便利な日本語なのか?...「言…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 3
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 6
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 7
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 8
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 9
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 10
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 10
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中