最新記事

注目作

悪魔のように殺し、聖人のごとく慕われた男

コロンビア麻薬カルテルの帝王を描いた『エスコバル』は人間の矛盾に迫る

2016年3月11日(金)14時53分
ルドルフ・ハーゾグ

悪の道へ  ニック(左から2番目)は麻薬王(右)の帝国にひきずり込まれていく(3月12日公開) ©2014 CHAPTER2-ORANGE STUDIO-PATHE PRODUCTION-NORSEAN PLUS S.L.-PARADISE LOST FILM A.I.E.-NEXUS FACTORY-UMEDIA-JOUROR DEVELOPPEMENT

「町に入ると男が寄ってきて、『番号は?』と聞くはずだから『72』と答えろ」──若者はそう指示される。その男に古い鉱山の立て坑まで案内させ、そこにお宝を隠したら、すぐにそいつの頭をぶち抜くという任務だ。

「余計なおしゃべりはするんじゃない。殺すのが嫌になってくるからな」と、コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバル(ベニシオ・デル・トロ)は助言する。若者ニック(ジョシュ・ハッチャーソン)は、任務にぴったりの人材だ。まさかカナダ人のサーファーが殺し屋とは、誰も思わない。こんな羽目になったのは、恋に落ちた女の子マリア(クラウディア・トレイザック)が麻薬王の姪だったからだ。

【参考記事】麻薬大国コロンビアを悩ます化学物質

 ごく普通の若者が南米で最も凶悪な犯罪組織の一員になり、麻薬カルテルとコロンビア政府の戦争に巻き込まれていく。ニックは架空の人物だが、アンドレア・ディ・ステファノ監督の『エスコバル 楽園の掟』は歴史的事実に基づいた作品だ。

 最盛期のエスコバルの年収は300億ドルもあり、世界7位の大富豪だった。満員の航空機を平気で爆破する非情な犯罪者だったが、その一方で貧しい人々のために病院や5000軒の家を建てた。

 広大な私有地にはキリンや象もいる動物園があり、3000人の殺し屋を含む私設の軍隊を持っていた。コロンビアでは現代のロビン・フッドと慕われる一方で、年に6000人以上を平気で殺し、1日当たり15トンのコカインをアメリカに輸出した。

 麻薬王は矛盾に満ちた人物だった。欲深だが気前がよく、ナルシストだが私心がなく、愛情にあふれ、平気で人を殺した。

 ここまで特異な人物を演じるのは、役者冥利に尽きるはずだ。愛する家族の目には大きなテディベアのように見える麻薬王を、デル・トロは完璧に演じている。終盤の政府軍に追い詰められる場面では、迫害される聖人のようにさえ見える。

 マリアは天使のように優しく、人好きのする魅力はエスコバル家の遺伝らしい。コカインは「コロンビアの特産物」と単純に考えるマリアは、おじを信頼し切っている。犯罪とは無縁の明朗な若者ニックは、彼女が犯罪組織のボスの姪と知って衝撃を受けながらも、エスコバルの富と権力に魅了されていく。

曖昧になる善と悪の境界

 エスコバルは父親のようにニックを気に掛け、ニックの兄が強盗に襲われたときも助けてやる。悪の帝国の「王子」となったニックは、共犯者意識を持ち始める。カルテルと政府軍の戦いは激化し、アメリカも麻薬王を追い始めると、ニックは悪と破壊の渦に引きずり込まれる。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イラン「核兵器を追求せず」、大統領が国連演説 制裁

ワールド

イスラエル軍、ガザ市中心部へ進撃 医療施設への影響

ビジネス

次期FRB議長に偏見ない人材を、一部候補者の強さに

ビジネス

米財務長官、航空機エンジンや化学品を対中協議の「て
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ハーバードが学ぶ日本企業
特集:ハーバードが学ぶ日本企業
2025年9月30日号(9/24発売)

トヨタ、楽天、総合商社、虎屋......名門経営大学院が日本企業を重視する理由

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の小説が世界で爆売れし、英米の文学賞を席巻...「文学界の異変」が起きた本当の理由
  • 2
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 3
    コーチとグッチで明暗 Z世代が変える高級ブランド市場、売上を伸ばす老舗ブランドの戦略は?
  • 4
    【クイズ】ハーバード大学ではない...アメリカの「大…
  • 5
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に.…
  • 6
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の…
  • 7
    映画界への恩返しに生きた、ロバート・レッドフォード…
  • 8
    筋肉はマシンでは育たない...器械に頼らぬ者だけがた…
  • 9
    村上春樹は「どの作品」から読むのが正解? 最初の1…
  • 10
    福音派の終末予言はまた空振った?――キリストが迎え…
  • 1
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に...「少々、お控えくださって?」
  • 2
    数千円で買った中古PCが「宝箱」だった...起動して分かった驚きの中身
  • 3
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の物体」にSNS大爆笑、「深海魚」説に「カニ」説も?
  • 4
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ…
  • 5
    筋肉はマシンでは育たない...器械に頼らぬ者だけがた…
  • 6
    【動画あり】トランプがチャールズ英国王の目の前で…
  • 7
    日本の小説が世界で爆売れし、英米の文学賞を席巻...…
  • 8
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍…
  • 9
    コーチとグッチで明暗 Z世代が変える高級ブランド市…
  • 10
    「ミイラはエジプト」はもう古い?...「世界最古のミ…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 6
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に.…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中