僕の北欧的「イクメン」奮闘記
メラドーラン大学のアンナレーナ・アルムクビスト上級講師(社会事業・公共福祉学)は08年、男性の育児に関する専門誌ファーザーリングに発表した論文で、スウェーデン人男性は「子供重視の男性性」を身に付けていると述べている。スウェーデンとフランスの父親を比較したところ、収入が同程度のカップルの場合、スウェーデン人は育児休業の重要性を強く認識し、育児に関わる問題をパートナーと率直に話し合うが、フランス人はそうではなかった。
アルムクビストに言わせれば、スウェーデンにおける男性の育休取得率の増加は「覇権的男性性」に「ささやかな変化」が起きている現状を反映している。
覇権的男性性は社会を支配してきた概念で、肉体的強さや立派な肩書やプレーボーイ的生活が男の憧れだったのもそのせいだ。こうした男の理想像は、伝統的に男性と育児を結び付けない。女性に柔軟な役割を認めることもない。
「覇権的男性性においては、母親と幼い子供の絆が重視される一方で、父親は育児をする能力も必要もない」と、豪ウーロンゴン大学の社会学専門家マイク・ドナルドソンは93年に学術誌セオリー・アンド・ソサエティーで指摘している。「愛情豊かに子供の面倒を見るのは男らしくないのだ」。こんな考え方は今のスェーデンでは絶滅しかけている。
例えば9年前、長期の育休を取るつもりはあるかと聞かれたら、リベラルな信条を持つ僕は「もちろん」と答えたはずだ。けれどキャリア志向のもう1人の僕は、その答えをすぐに忘れただろう。
その後、僕はスウェーデン人女性と結婚した。僕たちはニューヨーク近郊の小さな町に引っ越し、近くに家族も友人もいなかった。嫌なことだらけの時期だった。妻のかかりつけの医師は最悪で、家にはネズミや虫がうようよしていた。もう我慢できない。スウェーデンへの移住に熱心だったのは妻より僕だった。いざ、恵まれた育休制度と短い労働時間の国へ。
でも現実には、育休を取得したいとはなかなか言い出せなかった。半年も休んだら解雇されると恐れた僕は悩んだ末、卑怯にもメールで申請した。上司の反応は「あ、そう」。僕には幼い子供がいるのだから当然だという態度だった。
「男らしい」育児スキルに目覚めて
いわば育休のベテランになった今も、自分の「子供重視の男性性」に自信が持てないことがある。スウェーデン人でない友人に育休の話をするときは昼寝もブログもし放題だと自慢する。けれどキッチンの床に座り込んでべそをかきそうになりながら、泣きやまない息子をなだめようとするときもあることは言わない。
それでも自分は「女性の領域」に一時的に滞在しているだけだとは思わない。僕は初めての育休の1日目に自分の子育て能力に自信を感じた。妻が出産後初出勤したその日、当時1歳7カ月だった娘と2人きりで10時間を過ごす日々が始まった。なんて普通なんだ。そう思った。ある意味で、がっかりするような体験だった。
とはいえ「男らしい」育児スキルを本当に体得したのは、おやつバッグの詰め方をマスターしたときだ。僕にはその才能があったらしい。バッグの中がめちゃくちゃでも、僕はいつでも子供がそのとき求めているおやつを取り出せる。自慢なのかって? そのとおりだ。