最新記事

ノーベル賞

体外受精という希望と遺棄される命

対外受精の先駆者ロバート・エドワーズのノーベル賞受賞で問われる進化した生殖医療の功罪

2010年10月5日(火)16時54分
クロディア・カルブ(医療担当)

命の贈り物 体外受精児の双子を抱くルイーズ・ブラウン。左端はエドワーズ(03年7月) Lee Besford-Reuters

 1978年7月25日に世界初の体外受精で誕生したルイーズ・ブラウンの名は耳にしたことがあっても、この体外受精を成功させたロバート・エドワーズの名は初耳だったかもしれない。体外受精の先駆者で英ケンブリッジ大学名誉教授のエドワーズは10月4日、ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった。ノーベル賞委員会は彼の功績を「現代医学の発展における画期的な一歩」だと評価した。

 今では数多くの不妊カップルが専門の医療機関を訪れ、体外受精を試みる。一方では体外受精研究の成功によってさまざまな問題や議論が巻き起こっているのも事実。不妊治療では双子、三つ子などの多胎児が生まれることが多い。不妊の母親のため、あるいは子供がほしいゲイのカップルのため、代理母の子宮を借りて胎児を育てるケースもある。

 不妊治療は独身女性、さらには「妊娠適齢期を過ぎた」独身女性までが自分の子供を持つことを可能にした。こうしたテーマは映画やドラマに使われ、常にポップカルチャーでも話題となっている。

 子供を望んでも長い間その夢がかなわなかった親たちは今や、自然の摂理に逆らって生殖を操ることができる。体外受精によって胚(受精卵が細胞分裂を繰り返して形成する初期段階の形)を作り出し、着床前遺伝子診断の技術で性別を確定することで、カップルは生まれる子供の性別を選ぶことも可能になる。いわゆる「男女産み分け」だ。

最大の問題は余った胚の取り扱い

 生殖医学の発展は、倫理的な問題も生んだ。生殖を成功させるために一度に複数の胚を子宮に戻すため、双子や三つ子、時には四つ子が生まれるケースがあまりに多いことは、長い間問題視されてきた。米カリフォルニアのナディア・スールマンが体外受精で8つ子を出産したのはごく例外的な出来事だったとはいえ、体外受精の安全性について人々に懸念を抱かせたことは間違いない。

 治療にかかる費用も問題だ。生殖医療にかかる費用や保険が適用される範囲はさまざま。最先端の治療を受けられるカップルもいれば受けられないカップルもいるという状況は、公平だといえるだろうか。安い費用で不妊治療を受けるため、アメリカ人が外国に渡らなければいけない状況は、はたして正しいのだろうか。

 エドワーズの成し遂げた体外受精で何より頭の痛い問題(そして政治色の濃い問題)は、治療後の余った胚をどうするか、という点だ。アメリカ国内では、今も約40万の胚がタンクの中で冷凍保存され、指示を受けて子宮に戻されるか、研究などに提供されるか、廃棄されるのを待っている。いずれの胚も、胎内にあれば「ヒト」と位置づけられる存在だ。

 科学者たちは人間の胚から取り出した胚性幹細胞(ES細胞)を利用しようと研究を重ねている。さまざまな細胞に分化し、増殖能力を持つ万能細胞といわれるES細胞が、難病の解明に役立つだけでなく治療にも結びつくと考える研究者は多い。研究には不妊治療で余った胚が用いられることが多いが、こうした研究は道徳的に許されないという人々もいる。

 ES細胞研究への助成をめぐっては、ここ数年で激しい議論が続いてきた。研究を推進しようとする米オバマ政権の政策に対し、8月にワシントンの連邦地裁が差し止めを命令するなど、今ではこの問題は法廷にまで持ち込まれるようになった。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

日産、追浜工場の生産を27年度末に終了 日産自動車

ビジネス

独ZEW景気期待指数、7月は52.7へ上昇 予想上

ワールド

米大統領、兵器提供でモスクワ攻撃可能かゼレンスキー

ビジネス

世界の投資家心理が急回復、2月以来の強気水準=Bo
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 2
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 3
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 4
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 5
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 6
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 7
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 8
    「このお菓子、子どもに本当に大丈夫?」──食品添加…
  • 9
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 10
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中