恋をするとなぜ私たちは「いい人」になるのか?...池田晶子の「内なる善」とは
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<哲学は人を救う...。フランスで哲学の博士号を取得した「挫折博士」が考え抜いた末に見た世界は、なぜ美しくきらめいていたのか? 恋愛と哲学について>
フランスで哲学の博士号を取得し、その将来は順風満帆――とはいかなかった。
躁うつ病を発症し、ドライバー、福祉施設職員、工場勤務と職を転々。研究者の職に就けなかった挫折と、心身が思うように動かない絶望のなかで、「哲学すること」だけはあきらめなかった。
在野の哲学徒・関野哲也氏が、自らのどん底体験から「哲学すること」の豊かさ、善く生きることの大切さを追求してまとめた、『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』(CCCメディアハウス)の「第7章 善く生き、善く死んでいくということ」より一部抜粋する。
恋をする人は「内なる善」を知っている
突然ですが、誰しも人を好きになった経験があると思います。人を好きになったとき、あの素敵な人に相応しくなれるように、もっとちゃんとしよう、もっとよくなろう、もっと善く生きようと自ずと自律的になりはしませんか。
人は人に恋をすると、成長しようとするようですね。恋に落ちたときに、胸の内から聴こえる声、「もっとよくなろう」という声、その声こそが池田晶子の言う内なる善、つまり良心の声だと私は考えています。
ちなみに、人が人を好きになった理由をたずねられて、うまく答えられるでしょうか。その人を好きになった理由はいくらでも挙げられるのですが、反面、これといった決め手については上手く言葉で言い表せない、そんな経験はありませんか。
何となく好き、感じがいいから、笑顔が素敵、フィーリングが合う、など。しかし、決してひと言では片づけられないのが、人を好きになった理由ではないでしょうか。おそらく、人が人を好きになる理由は語り尽くせないもののようです。
よくよく考えると、なぜかわからないけど、その人を好きになり、そのくせ、なぜかわからないにもかかわらず、人は人を好きになると、自ら進んで成長しようとするらしいのです。私たち人間の不思議と言えば不思議な部分ですし、素敵と言えば素敵な部分ですね。