日本と香港を押しのけ、韓国エンタメが30年前に躍進し始めた理由
1995年、いち早くその風を読んだ韓国の大手製糖会社CJグループ(注5)は、アメリカの映画会社ドリームワークスに3億ドルの出資をおこないます。それまでは韓国に限らず、アメリカを除き、どの国もエンターテインメントはほとんど「国内産業」としか考えられていなかったため、CJグループの海外出資は当時、韓国国内でも話題となりました。
※注5:2010年代に入り、CJグループは韓国コンテンツのグローバル展開に欠かせない存在となります。映画「パラサイト」からドラマ「愛の不時着」、グローバル規模の韓国音楽祭「KCON」までCJグループが深く関わっています。
そして1990年代には、韓国の3大芸能事務所といわれる、SMエンターテインメント、YGエンターテインメント、JYPエンターテインメントの前身となる会社が創設された時期でもあります。これらの3大芸能事務所がなかったら今のK‒POPはなかったと言っても過言ではないほど、その後、次々と世界で活躍するK‒POPアーティストたちを生み出します。
ところで、この頃から世界的にグローバルコンテンツへの関心が集まり始めたとはいえ、当時、アジア市場のニーズに応えられる良質なコンテンツは、日本のドラマと香港映画くらいでした。
しかし、日本のドラマは2次利用料が高く、著作権などライセンス関係の扱いが厳しかったため、輸入を試みた事業者は壁に直面しました。また、香港映画も1997年の中国返還をきっかけに、多くの俳優や制作資金が台湾やアメリカなどに流出してしまいました。そうした状況を受けて動き出したのが、韓国なのです。
韓国はなるべく早めにコンテンツをパッケージ化して売りやすいかたちにし、中華圏への輸出を始めました。そして1993年に「ジェラシー」、1997年には「愛が何だって」という韓国ドラマが中国で大ヒットし、アジア市場における日本や香港の穴を埋めたのです(注6)。
※注6:韓国ドラマ「愛が何だって」は、1997年に中国で放映され、CCTVの海外ドラマの中で歴代2位を記録するほどの人気を集めました。約1億5000万人以上が視聴したと言われています。(参照:聯合ニュース、2017年6月13日)
この時期の収益は今に比べるとそれほど大きいとは言えませんが、これをきっかけに韓国は「コンテンツやカルチャーというものがグローバルビジネスになる」ということに気づき、海外進出に力を入れるようになったのです。つまり、1990年代末頃から韓国は、コンテンツ・ボーダーレスの可能性を実感したといえるのです。