最新記事

BOOKS

3歳の子を虐待死させた親の公判を、傍聴席から、そのまま提示する

2018年5月25日(金)16時10分
印南敦史(作家、書評家)

Newsweek Japan

<世間を騒がせた事件の概要や法廷の様子を淡々と記す『きょうも傍聴席にいます』。登場する被告の大半は「普通の人」なのだが......>

『きょうも傍聴席にいます』(朝日新聞社会部著、幻冬舎新書)は、朝日新聞デジタルの人気コーナーを新書化した作品。2013年5月にスタートしたこの連載をまとめたものには、初期の29作を収録した『母さんごめん、もう無理だ きょうも傍聴席にいます』(幻冬舎)があるが、その続編であり、2016年2月から17年7月までの掲載分が収録されている。


 連載は「法廷で語られる被告の言葉をもっと伝えたい」という若手記者の発案から始まった。事件が起き容疑者が逮捕されると、マスコミは一斉に被害者の遺族、容疑者の知人などに取材をする。警察官や弁護士の話をもとに捜査の状況も報道する。だが、留置・勾留されている容疑者本人には接触できない。起訴されて被告となり、裁判が開かれて初めて法廷で聞くことができる。
 法廷でのやりとりは、テレビ中継はおろか録音も禁止だ。開廷後の写真撮影も不可。
 取材記者は傍聴席に座り、被告や裁判官、検察官、弁護人の言葉に耳を澄まし、その表情に目をこらす。(「あとがき」より)

法廷で明らかになる事件の様相は、当初、報じられたものとは異なることも少なくないのだという。だからこそ取材することに意味があるわけだが、とはいえ通常の新聞の裁判記事は12字×30行程度。長くても50行から60行だというから、400字詰め原稿用紙2枚程度しかないことになる。

たったそれだけの文字量で、被告と検察官の犯行状況をめぐる緊迫したやり取りや、情状として弁護人が示す被告の生い立ち、生活状況などを書き切ることなど到底不可能だろう。

だから記者たちは悩み続けてきたわけだが、そこに可能性を投げかけてくれたのがウェブメディアである。デジタル版では紙のような文字数の制限がないため、新聞の3~4倍の長さの記事を掲載することが可能になったというのだ。

つまり、「被告の言葉をもっと伝えたい」という記者の思いを実現することができるようになったということ。よって、法廷で語られる事件の全容を思う存分書こうという意思が、本書の核となっている。

そんなこともあり、本書には通常の書籍にある「はじめに」のような前書きすらない。事件の概要、法廷の様子、そこで展開された会話などが淡々と記されているだけである。

記者が感じたことを綴った「記者の目」というコラムも4本だけ収録されているが、基本的に感情的な表現とは無縁だ。だから読者は、記者がそこで見たことを、そのまま提示されるだけということになる。

しかも「いつ」「どこで」「誰が」「何を」やったのかが明らかにされるだけで、一般的な報道で見かけるような事件名は出てこない。例えば"誰もが知る元プロ野球選手"についても名前は明かされず、このような情景描写が記されるだけだ。


「球界の番長」と呼ばれたかつてのスター選手は、法廷で何度も涙をぬぐった。覚醒剤を使った理由として口にしたのは、野球を離れた後の孤独と不安。だが再生へ向け、彼はすべてを語ったのだろうか――。

 朝から雨が降り続いた2016年5月17日、東京地裁近くの日比谷公園には、元プロ野球選手の被告(48)の初公判の傍聴券を求める人が列をなした。20席の一般傍聴席に対し、集まったのは3769人。抽選の倍率は188倍に達した。
 午後1時半すぎ、被告は濃紺のスーツに身を包み、緊張した面持ちで425法廷に現れた。(67ページ「孤独と不安で落ちた番長」より)

これだけ読めば「ああ、あの人か」と分かるはずだが、それは必ずしも彼が有名人だからではない。他の事件についても、情景描写や説明を確認するだけで思い当たるものがとても多いのだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

英米が420億ドルのテック協定、エヌビディア・MS

ビジネス

「EUは経済成長で世界に遅れ」 ドラギ氏が一段の行

ビジネス

独エンジニアリング生産、来年は小幅回復の予想=業界

ワールド

シンガポール非石油輸出、8月は前年比-11.3% 
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 2
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 3
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 4
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く…
  • 7
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 8
    「なにこれ...」数カ月ぶりに帰宅した女性、本棚に出…
  • 9
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 10
    「この歩き方はおかしい?」幼い娘の様子に違和感...…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中