最新記事

無能で無気力なテロ対策

巨象インドの素顔

世界最大の民主主義国家
インドが抱える10億人の真実

2009.06.19

ニューストピックス

無能で無気力なテロ対策

テロの教訓から学ぼうとしないたるみきったインド治安当局の実態

2009年6月19日(金)16時18分
スディプ・マズムダル(ニューデリー支局

 どの程度の規模の特殊部隊がいつ到着するのか――マハラシュトラ州の州都ムンバイの同時多発テロの犯人たちは、この重要な情報を簡単に入手できた。シブラジ・パティル内相がテレビでしゃべったのだ。200人の部隊がニューデリーを2時半に出発し、2時間でムンバイに到着する、と。

 精鋭部隊がムンバイ入りした後も、犯人たちには準備の時間がたっぷりあった。兵士たちは市内北端の空港から南端の現場までおんぼろバスで移動しなければならなかったからだ。現場に着いたのは6時半ごろ。テロ攻撃の開始からすでに9時間も経過していた。

 インド全土で今、9・11同時多発テロ後にアメリカで上がったのと同じ疑問の声が上がっている。なぜ政府はテロの脅威から国民を守れなかったのか――。

 「テロ計画の兆候があると昨年11月から警告してきたのに、政府は何もしなかった」と、インドの情報機関、研究・分析局(RAW)のB・ラマン元局長は言う。

 テロ対応マニュアルもなかったようだ。テレビで内相が不用意にしゃべるのを見て、治安のプロは歯ぎしりするばかりだった。

 パティル内相は11月30日に辞任したが、今回の惨事を悪化させた責任は彼だけにあるわけではない。「脅威に対応できる強力な政治指導者がいないという恐ろしい現実がある」と、ニューデリーにあるオブザーバー・リサーチ財団のテロ専門家ウィルソン・ジョンは指摘する。「無能さ、やる気のなさが上層部から巡査レベルまで染み渡っている」

 テロ攻撃が始まる1時間ほど前、南ムンバイの海岸の住民がゴムボートに乗ってきた一味を目撃。地元の警察に通報したが、警察は動かなかった。

10年前は優秀だったが

 「危機にそなえたインフラができていないことがはっきりした」と、インド最大の財閥を率いるラタン・タタは記者たちに語った。このとき、タタ・グループが所有するタージマハル・ホテルには犯人グループが立てこもっていた。

 その後、近くの病院が占拠されたとき、治安当局のお粗末ぶりがあらわになった。マハラシュトラ州のテロ対策最高責任者と2人の警察幹部が現場に到着、護衛なしに最前線に立ったのだ。たちまち自動小銃が火を噴き、3人はなぎ倒された。「武装勢力はインドの対テロ体制と戦略の不備を熟知し、その穴を突いた」とジョンは話す。

 犯人たちは警察の車両を乗っ取った。彼らは市内の道路も、占拠したホテルの構造も知り抜いているようだった。一方、特殊部隊は作戦行動に入る前にまずホテルの従業員に内部の配置図を描いてもらわなければならなかった。「過去の教訓から学んでいなかったということだ」と、M・N・シン元ムンバイ警察署長は言う。

 ムンバイでは93年以降、大規模なテロが繰り返されてきた。06年7月にはラッシュ時の通勤列車を狙った爆弾テロで160人が死亡、200人余りの負傷者が出た。インド全土でも過去9カ月に少なくとも5回のテロが発生している。だが、閣僚が鳴り物入りで現地視察をする程度で、実効性ある対策は取られてこなかった。

 それがインドのお決まりのパターンだ。無能な政治家と腐敗した官僚は自分たちの利害を守ることにきゅうきゅうとし、国民の幸福など考えていない。ここ数年で、こうした風潮がRAWも含めた情報機関にまで広がった。

 「10年前にはインドの情報機関は世界屈指だった」と、フランスの治安当局者は話す。事情が変わったのは、政府が情報機関の幹部を能力ではなく与党寄りかどうかで任命するようになったからだ。

 州と連邦の複数の情報機関は別々に治安情報を収集しており、全体を統括するポストもない。9・11以前のアメリカと同じように、インドでも複数の情報機関が対立して横の連携が取れていない。

政治家に世論の圧力を

 専門家によると、91年から06年までにインド全土で1万6000人近いイスラム過激派が拘束され、尋問された。だがその情報の大半は分析されず、集約してテロ防止に生かされることもなかった。

 今回のテロで、政治家に行動を迫る声が高まっている。「9・11後のアメリカのように世論の圧力をかける必要がある」と、元RAW局長のラマンは言う。

 映画俳優で活動家のラフル・ボセは人々の思いをこう代弁する。「政治家がまたもや自分たちの義務をほうり出したら、通りに火が放たれるとは言わないが、ムンバイは人々の怒りが渦巻く街となるだろう」

[2008年12月10日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、次期FRB議長にウォーシュ氏かハセット

ビジネス

アングル:トランプ関税が生んだ新潮流、中国企業がベ

ワールド

アングル:米国などからトップ研究者誘致へ、カナダが

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、方向感欠く取引 来週の日銀
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 2
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 3
    受け入れ難い和平案、迫られる軍備拡張──ウクライナの選択肢は「一つ」
  • 4
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 5
    【揺らぐ中国、攻めの高市】柯隆氏「台湾騒動は高市…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 8
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ…
  • 9
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 10
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 5
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 6
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 7
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 8
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 9
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 10
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中