コラム

「セシウムさいた」講演タイトルへのバッシングをどう考えるか?

2012年03月09日(金)14時09分

 今週の土曜日(10日)に開かれる「国際女性デー埼玉集会」(事務局・埼玉県教職員組合)のチラシで、講演タイトルが「さいたさいたセシウムがさいた」とされていることに激しい批判が集中し、タイトルが『3・11後の安心をどうつくり出すか』へと変更になったそうです。

 報道によれば、元のタイトルは講演者の米国出身の詩人アーサー・ビナード氏が提案しており、ビナード氏の「本来なら花が咲き喜ばしい春の訪れを台無しにした原発事故の大変な状況を伝えたい」との意向で決まった経緯があるそうです。

 私はこのニュースを知って、何ともイヤな気持ちになりました。

 一つは、この元のタイトルへのバッシングにあった「福島の人々の気持ちを逆なでしている」というのは否定できないという点です。危険性への判断には差はあるものの、現状が良いと思っている人はいないわけで、そんな中、遠く離れた安全な場所から「セシウム」をブラックユーモアにした表現が聞こえてくれば、不愉快に思う人は確かにいると考えられるからです。

 では、バッシングは正当だったのでしょうか? 必ずしもそうとは思いません。特に自民党の政治家など、有権者の本能的な放射線への忌避感情と、現実的なエネルギーの多様化の問題の間に入って「冷静な説得や中長期の政策論」を担うべき人々が、「被害者の正義」という誰も批判できないものに「タダ乗り」したのには安易な印象があります。教職員組合が反原発集会を主催することを批判したいのなら、やはり具体的な政策論で行うべきです。

 こうした構図に加えて、難しい問題だと思ったのは、「さいたさいた」という表現がどうしてここまでバッシングを受けたのかという点です。一つには、こうした深刻な問題には、パロディなどのユーモア表現は似合わないという現実です。

 考えれば、現在の日本ではお笑い芸人が政治的なユーモアを芸にするということも、ほとんど消えてしまっています。それは、芸能が体制に組み込まれたからではないのです。政治にしても社会問題にしても、余りに構造が複雑になり、賛成反対の意見のバラツキや相互の抗争も激しくなる中で、北野武氏の表現を借りるならば「シャレにならない」からです。どうしてシャレにならないかというと、ユーモア表現というのは例えばこの問題では、ストレートに反原発を言うよりも、更に表現は「ベタ」になるからです。

 反原発のイデオロギーをブラックユーモアや皮肉で表現すると、それが「決まった」場合には立場として反原発に賛成の人は喜ぶでしょう。ですが、別の意見をもつ人にはメッセージが伝わらないばかりか、「100%の信念としてユーモアを交えて強く表現」してきた相手が偉そうで許しがたいように見えてしまうのです。

 相手がユーモアに対抗できるような強さをもっていれば良いのですが、そうではない場合はとにかくユーモアとかパロディの持つ「表現の強さ」を「上下の感覚」つまり尊大な表現だと思ってしまう、それが現代の日本社会であり、日本語の現在なのだと思います。尊大だと感じてしまうと、ユーモアの感覚自体が不真面目だという不快感も伴ってきます。「さいたさいた」に関しては、基本的に「万人が親しんでいる童謡」をパロディにしてしまったことも加えて、完全にレッドカードものだったのでしょう。

 ここで、もう一つの疑問が生まれます。「さいたさいた」というパロディ表現を普通の「反原発運動家」が提案してきたらどうだったでしょうか? たぶんこの集会の主催者は「それはマズイんじゃないか」とダメ出しをしたのではないかと思います。ではどうして最初の段階で通してしまったのでしょう? 恐らくこのビナード氏が「詩人」であり「外国人」だからではないかと思うのです。言葉について特殊なセンスを持つ詩人であり、また日本語が母国語ではない外国出身の人の表現だから「許されるだろう」という判断、私はそこに問題があったのだと思います。

 今回の騒動をきっかけに、私はこのビナード氏の書いたものをいくつか読んでみました。確かにこの人は震災以降は反原発の論客として活動を続けているようです。そうした内容の多くは、原子核物理学や経済学、社会心理学などの知見によって冷静に考察や合意形成を積み重ねるべき問題であり、この人に関しては畑違いの分野で才能を浪費しているとしか思えませんでした。

 その一方で、震災前に書かれたエッセイは興味深いものでした。「タイへ行ったら日本語で『おたご』と書かれた不思議なスープがあった」という話題に結びつけて「東京のとある飲食店の名前が『むすご』というので、間違いかと思ったら実は飛騨高山の地名に由来した『無数郷』だった」というような観察を綴ったエッセイには、明らかに日本語の音韻を客観視できる繊細な才能が感じられました。そうした才能を生かすことができなくなり、イデオロギーの力比べの道具にされるというのは悲劇だと思います。

 そう考えると、「ガイジンであり詩人である」というビナード氏の「特殊な立場」を悪用しようとした県教組よりも、詩人だろうが外国出身だろうが、お構いなしに叩いた片山さつき議員の方が「差別」の意識は薄かったのかもしれません。だからと言って「正義タダ乗り」が正当化されるわけでもありませんが。

 ビナード氏の「講演タイトル事件」をめぐる構図は、一見すると無意味な騒動のようにも思えますが、ポスト3・11の日本が抱えたコミュニケーション上の困難さ・複雑さの一つの縮図であると思います。そんな中、あの日から巡り巡って、初めての3月11日が近づいて来ました。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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