コラム

楽しいはずの野球観戦、しかし観客席にはリスクが・・・

2011年07月13日(水)11時55分

 アメリカのMLBは現在年に一度のオールスターの祭典が進行中です。3000本安打をホームランで決めたジーターや、A・ロッド、現時点で13勝の大エースであるサバシアなど、ヤンキースの主力が揃って欠場するなど、色々な批判もあるオールスターですが、さすがにMLBの層は厚く、フィリーズの左右エースの活躍や、ブルージェイズのバチスタの好守、ブリュワーズのプリンス・フィルダーの3ランなど、始まってみればなかなかの盛り上がりとなっています。

 月曜日に行われたホームラン競争も、ジーター、A・ロッドばかりがヤンキースではないと、ここ数年、進境著しいロビー・カノーが圧倒的な巧さを見せて勝利、この世界に押し寄せる世代交代の波を見せつけました。イチロー選手をはじめ、日本人選手の不在が寂しく思えますが、これも世代交代という文脈から考えると、直視せざるを得ない事実なのだと思います。

 その一方で、このオールスター戦ですが、一つの「影」に覆われていたという面も否定できません。というのは、球宴の直前、先週7日の木曜日にテキサス州アーリントンで行われたレンジャースの主催ゲームで悲惨な事故が起きていたからです。シャノン・ストーンさんという39歳の消防士は外野席で観戦中、外野手のジョシュ・ハミルトン選手がスタンドに投げ入れたボールを取ろうとして最前列席でバランスを崩し、そのまま6メートル下のコンクリの路盤に落下、落命してしまったのでした。

 ストーンさんは、連れていた息子のためにボールを取ろうとして落ちたのですが、事故の瞬間の息子さんの叫び声は球場内に響き、ハミルトン選手はその声がいつまでも耳の中で消えないと語っています。そのストーンさんは、ハミルトン選手の大ファンであったそうで、そこに何とも言えない人間の運命のようなものがあるのですが、そのハミルトン選手は責任を感じてストーンさんの家族に丁重な姿勢を取り続けました。

 ストーンさんの奥さんは、その誠意を受け入れてむしろ謝意を示すなど、そこには理屈抜きの南部の人情が流れていてホッとさせられるものもあるのですが、恐ろしい事件には違いありません。ちなみに、レンジャースのナインは、事故の翌日からは喪章を着用してストーンさんへの弔意を示しつつプレーしています。

 実は、事故の翌週のオールスターによるホームラン競争でも、本番のオールスターゲームでも活躍することになるプリンス・フィルダー選手(ブリュワーズ)のホームランボールに手を伸ばした観客が3階席から2階席へ頭から落下しそうになり、危機一髪両足を隣の人に抱えられて助かったりもしています。

 考えて見ればアメリカの各球場というのはスタンドは急な作りが多く、各段の最前列では落下の危険がある箇所が多いのです。レッドソックスの本拠地、フェンウェイに近年出来た「グリーンモンスター上の特別席」などは、高所恐怖症の人にはとてもガマン出来ないシロモノです。ただ、MLBとしては、こうした「落下の危険性」については、各球場毎に安全対策の見直しを指示してはいますが、特別なルールの設定は考えていないようです。あくまで、球場が一定の基準を満たしていれば、後は自立した個人として観客の各自が責任ある行動を取れば、それで良しというのが連盟の基本姿勢です。

 また、ファウルボールの問題についても、連盟の姿勢は同じです。日本のように「ファウルボールへの注意喚起」に専門の要員を配置したり、ピーピー笛を鳴らしたりということも全くありません。また、ネットをもう少し拡大するという話も全く出ていないのです。

 その背景には、アメリカのMLBファンの平均的な「捕球技術」がかなり高いということがあります。男女ともに、幼いときは親とキャッチボールをして、リトルリーグやソフトボールリーグに入っていたというファンがほとんどだからです。そのために、皆が試合に集中しており、ホームランだろうがファウルだろうが、ボールが観客席に来たら「おみやげ」にしてもって帰れるということから、本当に一球一球にキチンと反応する、その結果として、ボールによる事故は防げるということに経験上はなっているのです。

 今回のテキサスの事件は、その「おみやげ」にこだわってしまった結果の転落事故なのですが、こうした「ボールを持ち帰って良い」というルールを見直すということもないでしょう。ただ、昨今問題になっている試合中のスマホ操作というのは、別次元の問題です。こちらは「一球一球に集中」という伝統にも反するわけで、危険性は高いように思われます。ヤンキースタジアムなどでは、禁止が始まっていますが、もしかすると他球場にも波及するかもしれません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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