コラム

凶弾に凍りついた政局、アリゾナ乱射事件

2011年01月10日(月)12時36分

 それにしても、ショッキングな事件でした。アリゾナ州のツーソンで8日(土)、ブリエル・ギフォーズ下院議員(民主、アリゾナ8区選出)が狙撃されたのです。ギフォーズ議員は、ショッピングモールのスーパーの前で開いていた「街角議会報告」というミニ集会の途中を狙われ、頭部を貫通する銃創を負いました。狙撃犯は、ジャレッド・ロフナーという22歳の男で、政治家を「仕留めた」興奮の延長なのかその場で乱射を続け6人の犠牲者が出ています。死者の中には、ギフォーズ議員のスタッフをはじめ、集会に参加していた連邦判事やその場に居合わせた9歳の少女も含まれるという惨劇となりました。

 事件から1日半を経過した現時点では、まずギフォーズ議員の容態は医師団の必死の救命が奏功して「会話が可能」な状態だというのですが、依然として楽観は許されない状況です。また狙撃犯のロフナーは、当初は黙秘をしていたものの、FBIと地元保安官の連合捜査の結果「事前に計画をしていた」ということは匂わせる発言があったそうで、同時に完全な単独犯ではなく協力者がいるということで、防犯カメラに映った「第2の人物」への追跡が始まっています。

 このギフォーズ議員ですが、州議会議員を経て連邦下院の議席を得て、昨年11月の中間選挙に辛勝して3期目に入ったばかりでした。投票行動としては穏健派で、アリゾナ政界の中では州議会議員の時から人望は厚かったようで、保守派からも評価の声がある、そんな存在のようです。一方、事件の背景には昨年の中間選挙における選挙戦の遺恨のようなものを指摘する報道もあります。

 具体的には2点、まずアリゾナ州というのは「英語が喋れないヒスパニック」だと思われたら警官が職務質問を行って良く、その際に身分証明ができない場合は即手錠をかけられるという悪名高い「不法移民取締法」など、不法移民問題に関して取り締まりを推進する保守派と、他州なみで良いというポジションの穏健派は厳しい対立を続けている状況があります。

 これに加えて、ティーパーティーがかなり食い込んでいます。例えば共和党の大物であるジョン・マケイン上院議員(前大統領候補)などは、予備選の段階でティーパーティー系の新人にギリギリまで追い詰められる中、「不法移民の合法化」をブッシュ前大統領と共同で進めていた過去をかなぐり捨てて「なりふりかまわぬ右傾化」とドブ板戦術で辛うじて共和党公認候補の座を守っています。

 また、今回のターゲットになったギフォーズ議員の場合は、そのティーパーティー、とりわけサラ・ペイリンの「ファンクラブ」的な団体から「医療保険改革に賛成した憎い敵、11月の中間選挙で絶対落選させるべき標的」として、ポスターの中で「標的」のマークをつけられていたという背景もあります。

 いずれにしても、アリゾナという州、とりわけメキシコ国境を含んでいたギフォーズ議員の「連邦下院8区」などは、一触即発の雰囲気があったという人もあります。ですが、ギフォーズ議員という人は「辻説法」的な選挙区内ミニ集会を続けていました。州議会時代の同僚によれば「それが彼女のスタイル、絶対に脅しに屈するような人ではない」というのです。また実際に事前の警告などもあったようなのですが、結果的に今回は最悪の事態になってしまいました。

 さて、事件に対する政界のリアクションは最大級でした。まずオバマ大統領が厳しいメッセージを出し、間髪を入れずにアリゾナ政界を代表するようにジョン・マケイン上院議員(共和)が「暴力に反対する」声明を出していますし、就任したばかりのジョン・ベイナー下院議長(共和)も「ヒューマニズムへの挑戦」であると最大限の厳しい言い方をしています。議会下院は、全議員に対して「身辺に警戒をするよう」指示を出すとともに、向こう一週間は事実上審議を停止することになりました。一方で、ギフォーズ議員が入院している病院前には「奇跡の回復」を祈る支持者がロウソクを掲げて集会を行うなど緊迫した状況があります。

 どうして共和党のマケイン議員やベイナー下院議長は「間髪を入れずに」声明を出したのでしょうか? どうして下院は一週間の審議停止を決めたのでしょうか? それは世論に対して「今回の狙撃犯の背後にあるのは共和党主流派ではない」というメッセージをどうしても出したかったからと思われます。どうして議会を休会にするのかというと、今週の下院は「オバマの医療保険改革を撤廃する」法案を審議する予定だったからです。勿論上院では通るはずはなく、大統領は拒否権を持っていますから実現は不可能なのですが、下院の多数を取った「示威行動」として下院での審議は行う予定でした。

 ですが、医療保険改革に尽力したギフォーズ議員が生死の境を彷徨っている傍らで「改革反対」の審議をするというのは不謹慎です。それどころか、民主党支持者や中間派からは、共和党イコール過激なティーパーティーというイメージから、狙撃犯の背後に共和党ありという見方をされてしまうことにもなります。そうした「イメージダウンを回避する」ために、マケイン議員も、ベイナー下院議長も機敏な動きをしたわけであり、一週間の休会とか、全議員に身辺警備をなどというのも同じだと見ることがです。

 更に推測をするならば、マケイン=ベイナーというラインは、共和党穏健派として、この事件を契機として「ティーパーティーの過激な部分の発言力低下」を狙っているという見方もできるでしょう。一方のペイリンは、勿論彼女自身は今回の狙撃事件には何の責任もないわけですが、当面は沈黙を守っています。実はここ数週間のペイリンには「穏健化」の兆候もあって、今回の事件について早い時期に「遺憾声明」を出すことで「より一層穏健派寄り」にシフトすることも、その流れで「共和党の本格候補」へと歩を進めることも可能だったようにも思うのですが、当面はそうは動いていません。

 そんなわけで、もしもペイリンが「動かない」ままズルズル行くと、この狙撃犯の意図とは恐らく反対に、共和党穏健派による「過激な右派はずし」のモメンタムが動き出すかもしれません。それが、オバマのホワイトハウスが年末年始から出し続けている「超党派の政治」路線と呼応するようですと、政治的には却って安定するかもしれないのです。そんな水面下の政争も見え隠れする中、ニュースはギフォーズ議員の容態を必死になって報道しています。

<追記> 
 CNNなどニュース局が週末にも関わらず速報体制を取っている中、9日の日曜日の晩、ケーブル局のTLCではペイリン・ファミリーの「リアリティー・ショー」として高視聴率を取っていた『サラ・ペイリンのアラスカ(8回シリーズ)』の最終回を放映していました。アラスカの大自然の中で脳天気な歓声を上げているペイリンや、収穫したキングサーモンを血を飛び散らせながらその場でブツ切りにしているペイリン一家などの映像は、どう考えてもこの日のアメリカには相応しくないものでした。勿論、ペイリンに乱射事件の直接的な責任はなく、また放送を中止したらしたで余計な憶測を生むでしょう。ですが、このまま放置しておけば、恐らくはペイリンの影響力は低下します。もしかしたら、この日の「キングサーモンのブツ切り」がペイリン凋落のきっかけになるかもしれません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

欧州の銀行、前例のないリスクに備えを ECB警告

ビジネス

ブラジル、仮想通貨の国際決済に課税検討=関係筋

ビジネス

投資家がリスク選好強める、現金は「売りシグナル」点

ビジネス

AIブーム、崩壊ならどの企業にも影響=米アルファベ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影風景がSNSで話題に、「再現度が高すぎる」とファン興奮
  • 3
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国か
  • 4
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 5
    マイケル・J・フォックスが新著で初めて語る、40年目…
  • 6
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 7
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 8
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 9
    山本由伸が変えた「常識」──メジャーを揺るがせた235…
  • 10
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 10
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story