コラム

「シルク・ドゥ・ソレイユ」が変えたNYの12月

2010年12月06日(月)12時58分

 カナダ、ケベック州のモントリオールを本拠として、サーカス文化にショーとして高い次元の作り込みを与えてきた「シルク・ド・ソレイユ」は日本でもおなじみだと思います。その「シルク」が、有名になったラスベガスでの「レジデント(定着型)」ショーに加えて、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン内の劇場での年末に行うショー「ウィンタック(WINTUK)」も今年で四年目となり、NYの歳末の風物詩となりつつあります。

 12月に入った週末、その「ウィンタック」を家族で観に行きました。「シルク」初心者の我々でしたがとにかく期待を上回る経験ができました。私にとっては、何と言っても、アメリカにいてここまで突き抜けた「非アメリカ的なもの」が受け入れられているというのは、そしてそれが小さな子供を含めた家族連れで賑わっているというのは驚きでした。

 アメリカはエンターテイメント王国というイメージがあり、確かに数字で見ればその存在感は世界的に大きなものがあります。ですが、その基盤にある文化というのは非常に保守的で硬直したものでした。勧善懲悪の善悪二元論、単純な人生観を前提にしたサクセスストーリー、偶然だらけのハリウッド的ローラーコースター、デジタル3D化された大音響の爆発シーンが売り物のアクション・・・その中でも子供向けのカルチャーは非常に狭い価値観で作られていたように思います。

 まず選択肢の狭い人生観、つまり明確なジェンダー役割を人権に配慮した表現で薄めたストーリーがあります。近年では、そうした単純な価値観を裏返したパロディ表現による偶像破壊のカタルシスもありますが、結局はそれも「アメリカ的なるもの」の陰画にとどまっています。そんな中で、肝心の善悪の価値観については内実としてはジワジワと崩壊を始めており、ローティーンの世代では日本のような陰湿な「いじめ」なども始まっている、それが2010年現在のアメリカのジュニア向けのカルチャーだと言えるでしょう。

 この「シルク」が突きつけてくる世界は、そうした「アメリカ的なるもの」とそのパロディとは一線を画したものだと言えるでしょう。ベースとなっているのは、「多様なものがゆるやかに均等に結ばれていく」ことにより「有機的な結びつきを獲得した新しい世界」を作っていくという思想です。例えば「ウィンタック」というのは、冬の訪れに触発された少年が北へと雪を求めて旅をしてゆくファンタジーですが、そこには様々な「雑多なもの」が出てきます。

 盗癖から抜けられない脱獄囚、それを追いかけまわす警官、工事現場の配管工、廃棄物処理業者、揺れ動き時に表情を見せるシュールな街灯・・・一見するとゴチャゴチャな「都市」のキャラクターですが、それぞれが「サーカスのアクロバット的な見せ場」をこなす一方で、コミカルな追跡劇などを見せてゆくのです。ですが、それが整理された音楽と演出、見事な舞台設計というフレームの中に場所を得て、生き生きと動きまわるとそこに魔法が生まれます。

 それは全てが相対化されつつ共存し、なおかつ生命感を失うことのない不思議な世界です。例えば脱走囚人はテロリストに、星条旗をまとった警官は米軍に見立てれば、そこに反米的なメッセージを感じることは可能です。また自転車を駆使して脱獄囚を追いかけるカッコいい警官と、逃げまわるバカな脱獄囚という見方もできます。ですが、そのどちらでも良いのです。つまり勧善懲悪的に見てもいいし、判官びいき的な見方をしても良いのです。そのどちらにも見える、それでいて追いかける方も逃げる方も一生懸命であり、そこに安っぽさは微塵もないのです。

 いかにも「サーカス」と言って良い、かなり高度なアクロバット芸も出てきます。通常のサーカスでは、「大技」をやる役者が偉いとか、逆にピエロというのは道化であり「うら悲しい狂言回し」の役目を背負っていたりします。ですが、「シルク」の世界にはそうした上下関係のヒエラルキーは感じられないのです。大技をこなす役者は確かに注目は浴びるのですが、チームがその大技のリスクを「心理的に」受け止めて一体化しているために、観客はそれほどハラハラドキドキはしないわけで、安心してショーの雰囲気に身を委ねることができるのです。NYの観客はまだその世界に慣れていないせいか、個々のコーナーでは拍手が今ひとつ盛り上がらなかったのですが、それもこの「シルク」のフラットな世界が斬新なせいだと思います。

 勿論この「シルク」にしても「サーカス」の伝統に従った部分はたくさんありますし、大道芸的なコミカルな表現、正に道化師的な誇張の面白さなどは演出に入っています。ですが、そうした大道芸的な味、道化の味というのもほとんどの役者に均等に与えられていて、しかもライブの音楽や演出と一体化していますから、「チープな哀感」というのは徹底的に克服されています。では「卑しい存在が聖化に転じるような転倒」があるのかというと、それも違うのです。コミカルな表現は、そこでは「うるおい」であり「暖かさ」であり「共感と共存のシグナル」であって、自己卑下や逆説ではなくなっているのです。この昇華された世界というのは、やはり感動としかいいようがありません。

 ショーが終わって外へ出ると、街には北極からの寒気が流れ込んでいて、それこそ「雪を求めて北上」したくなるような初冬の情緒がありました。そしてNYの街はクリスマスの電飾が施されたり、エンパイアステートビルはユダヤ教のハヌカの聖日を祝う青と白のライトアップがされていました。そうした例年と変わらぬ景色の中に、この「シルク」の「ウィンタック」が溶け込んでいる、そしてそれは静かに「上下関係や勧善懲悪」とは違った価値観を提示している、そこにアメリカの進むべき方向があるように思いました。

 考えて見れば、今年2010年という年は、オバマの「チェンジ」が失敗した年だと言えるでしょう。では、オバマは「変えようとしたから」失敗したのでしょうか? 私はそうではないように思います。オバマの「チェンジ」でも追いつかないような変化、多様なものの劇的な出会いと衝突が世界でも、いやアメリカの中でも始まっており、オバマの「チェンジ」では足りなかったのです。この「シルク」の文化が、ラスベガスで、そしてNYという極めてアメリカ的な空間において「非アメリカ的なるもの」をどんどん浸透させているように、まだまだ、いやもっとアメリカは変化のスピードを上げていかなくてはならないのでしょう。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

バチカンでトランプ氏と防空や制裁を協議、30日停戦

ワールド

豪総選挙は与党が勝利、反トランプ追い風 首相続投は

ビジネス

バークシャー第1四半期、現金保有は過去最高 山火事

ビジネス

バフェット氏、トランプ関税批判 日本の5大商社株「
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得る? JAXA宇宙研・藤本正樹所長にとことん聞いてみた
  • 2
    【クイズ】世界で2番目に「軍事費」が高い国は?...1位はアメリカ、2位は意外にも
  • 3
    古代の遺跡で「動物と一緒に埋葬」された人骨を発見...「ペットとの温かい絆」とは言えない事情が
  • 4
    野球ボールより大きい...中国の病院を訪れた女性、「…
  • 5
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 6
    脂肪は自宅で燃やせる...理学療法士が勧める「3つの…
  • 7
    「2025年7月5日天体衝突説」拡散で意識に変化? JAX…
  • 8
    インドとパキスタンの戦力比と核使用の危険度
  • 9
    「すごく変な臭い」「顔がある」道端で発見した「謎…
  • 10
    シャーロット王女とスペイン・レオノール王女は「どち…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得る? JAXA宇宙研・藤本正樹所長にとことん聞いてみた
  • 4
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 8
    【クイズ】世界で2番目に「軍事費」が高い国は?...1…
  • 9
    古代の遺跡で「動物と一緒に埋葬」された人骨を発見.…
  • 10
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story