コラム

日銀の金融緩和は、どうして世界の市場から歓迎されたのか?

2010年10月08日(金)13時24分

 今週の火曜日、日本銀行はいわゆる金融緩和策を発表しました。同時に発表された主旨と今後の方針は、以下の3点です。(1)ゼロ金利(ゼロから0・1%)継続の姿勢を明確にする、(2)市場から国債、社債、不動産投資信託などを買い入れる、(3)こうした緩和策を1%という物価上昇率のターゲットまで継続する。これまでの日銀は、ゼロ金利にしてカネを借りやすくすることはやっていましたが、ここまで踏み込んで日銀自身が「円」を供給して行くとは言っていませんでした。勿論、デフレは怖いのですが、一旦踏み込んでお札を刷ってしまうと逆にインフレになるのが怖い、それが日本の伝統的な金融政策だったからです。

 この判断を受けて、まず日本の日経平均が上昇し、時差の関係でそのトレンドは欧州市場を経て、ニューヨークの株式市場にまで波及しました。アメリカでは、現在まだ雇用統計の低迷が重苦しいムードを漂わせており、今週金曜日の9月の失業率発表を「恐る恐る待っている」というムードがあったのですが、この「日銀の金融緩和」というニュースを好感した市場には、猛烈にポジティブな雰囲気が広がり、結局この日のダウ平均は1.8%も上昇したのです。翌日も、その翌日も反落はなかったことを考えると、決して一過性の「花火」ではないと見ることができます。

 ちなみに、メディアも歓迎ムード一色でした。ケーブルTVの大手経済局のCNBCは終日「日銀の金融緩和」を画面下のテロップで流し続けていましたし、『ウォール・ストリート・ジャーナル』や電子版で見た『フィナンシャル・タイムズ』など経済紙も一斉に、日銀の姿勢を強く評価する報道を繰り広げていました。では、どうして世界は日銀の決定をここまで歓迎したのでしょうか?

 まず大きいのは、今回の不況に関して「先進国共通の困難」という認識が生まれつつあるということです。確かに時間軸を考えますと、まず2008年の夏までのアメリカの不動産バブルの行き詰まりがあり、その秋に同じアメリカのリーマンショックがそのバブルを吹き飛ばして、世界を不況に引きずり込んだわけです。これに続いて、2009年にはヨーロッパの数カ国での国家財政の破綻危機という問題が噴出しました。ここまでは、ある意味では「それぞれの国の問題」が「世界に迷惑をかけている」という漠然としたムードでの理解がされていたように思います。

 ですが、2010年に入って例えばアメリカの雇用が改善しないという問題、そして日本の景気や欧州もなかなか出口が見えないという状況を直視すると、そこには先進国に共通の問題が見えて来たように思うのです。それは、中付加価値の大量生産型産業では、先進国は生産性の点で、中国やブラジル、インドに対抗できない一方で、大型投資を必要とする最先端の産業はまだ未成熟で今回の不況によってダメージを受けているという悩みです。

 勿論、国によっては多少ニュアンスは違います。アメリカの場合は、最先端のIT、金融、宇宙航空、製薬などで苦しむ一方で、中付加価値の製造業はほぼ空洞化していますが、分厚い若年人口が潜在的な消費力を持っています。日本はその流れを追っている面と、まだ未開拓の最先端へのチャレンジというフロンティアを残している面があります。一方で、欧州は米国型の部分と日本型の部分、そして一部には工夫すればまだ中国などと生産性を競える低コストな地域も残しているわけです。中には豪州のように、地の利を生かした製造業や資源産業で既に好況期に入っているエリアもありますが、こちらも現在の不安定な世界経済の中で模索を続けていることには変わりません。そうして全てに共通するのは、現在の先進国は中国以下の新興国市場を相手にしなくてはやっていけなという問題です。

 つまり、先進国の経済というのはグローバル化で一つになる一方で、同じように新興国の追撃を受けつつ、新興国の需要に依存しているわけです。その中で、どうやって景気を回復させていくのか、特にテクニカルなマネタリー政策に関しては、正に協調が必要であり、また誰かが勢いをつければ、それが他に波及するし、誰かが大きな問題を起こせば、それが全体の足を引っ張る構図になっているのです。先進各国が「日銀の金融緩和」に一斉にポジティブな反応を示したというのには、そうした事情があります。

 ですが、日本国内からの報道は相変わらず悲観論が多いようです。ネットの論評などを見ると、いわゆる「リフレ派」の人々からは「1%のターゲットなど妥協の産物」であるとか「中身はカラ」といった辛口のコメントが、反リフレ派」からは、デフレは構造的な問題であり金融政策で変えられるものではないという意見や、やがて日本はハイパーインフレになるから緩和には反対というような極端な意見も多いようです。例えば、今回の金融緩和へ向けて、世論の理解を広めることに貢献した勝間和代氏の功績などについても、評価する意見は少ないようです。

 私は、今回の金融緩和が「科学的あるいは数学的に見て十分」であるかは分かりません。ですが、国内外に対してデフレと戦い、先進国共通の問題である景気の問題に取り組んでいくという心理的なメッセージにはなったと思うのです。少なくとも、世界はそのメッセージを受け止めています。日本も、まず産業界が内需・外需・先端産業への投資を積極化して、これまでの弱気+内向きのトレンドをひっくり返してゆかねばならないでしょうし、政治や外交もそれを後押しすることが求められます。例えば、最近の先進国同士では、為替に関しては「お互いホンネでケンカ」という状況がありますが、それも金融政策と景気回復に関しては協調姿勢と各国の努力を行っているという「仲間意識」を持たなくては、各論に関する是々非々の対話も上手く行かないように思うのです。

 勿論、金融緩和だけでは先進国共通の問題、特に新興国の追い上げと空洞化という問題そのものの解決にはなりません。ですが、せめて自然反転の部分をしっかりさせるとか、過度のデフレを防止するという中で2番底を回避し、緩やかな回復基調に乗せていくことはできるはずです。その際に鍵になるのは心理的効果であり、日銀の今回の判断はその点で有効であったということだと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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