コラム

「緩慢な悲劇」との戦いに入ったハイチでの救命活動

2010年01月20日(水)14時22分

 緊急救命活動とは、通常は時間との戦いです。多くの場合、心肺停止の時間が短ければ短いほど救命の可能性は高まる、そんな切羽詰った時間感覚がそこにはあります。時間との戦いということでは、一昨年2008年5月の四川大地震のことも昨日のことのように思い起こされます。高い技術を持った日本の救命隊が派遣されたにも関わらず、手続きのトラブルなどで、現地入りが遅れ、結果的には救命の実績が上げられなかったのです。また15年の慰霊祭を迎えたばかりの阪神淡路大震災の際にも、時間との戦いが繰り広げられたのは多くの人の記憶に残っていると思います。

 今回のハイチでも、生存の1つの目安とされる発生後72時間というラインのことは、アメリカのメディアでも大きく取り上げられました。その一方で、温暖な地であることや、閉じ込められた場所に水があったりという条件が幸いして、72時間をはるかに過ぎた現在でも、生存者の救出劇は続いています。ですが、さすがに今から日本の救命部隊が派遣されても恐らく四川の時と同じように、成果はあまり期待できないでしょう。では、もうハイチでの状況は、生と死の戦いの時期は過ぎたのでしょうか? これからは治安や仮設住宅の問題、人口移動や復興の問題などの「社会的対策」に移って行くのでしょうか?

 どうも違うようです。ハイチでは、今現在も多くの人々が生命の危険にさらされています。しかし、それは倒壊家屋の下敷きになった人の救命など一刻を争う問題、つまり「緊急救命」の時間感覚で捉えられるような問題ではありません。もっと緩慢で、しかし深刻な生命の危機が進行しているのです。

 ポルトープランスを中心とするハイチの首都圏には約300万人の人口がいると言われています。今回の犠牲者数は、一説によると20万人を越えるとも言われているのですが、仮にそうだとして、恐らく負傷者はその数倍は発生しているでしょう。その中には内臓破裂や脳挫傷などの重篤なものもあるでしょうが、残念ながらこの種の負傷者で重傷の場合は、既に亡くなっているケースが多いと思われます。一方で圧倒的に多いのが、骨折や裂傷などの「ケガ」です。

 問題はこうした「ケガ」を負った人々なのです。病院施設が、医師が、清潔な包帯や絆創膏が、そして抗生物質が、安全な水が圧倒的に不足する中、骨折や裂傷の患者が何日も放置されているのです。その結果として、手足に壊死が起き始めて、中には敗血症を起こしている患者も多いようなのです。CNNでは、6から7歳ぐらいの負傷した少女の例を取材していましたが、彼女の場合は十分な治療が受けられない中で、足の壊死が始まってしまっていました。診察した医師は、敗血症が進行するのは時間の問題だとして、まだ元気な少女と両親に「死の宣告」を行っていました。彼女の症状は、現在その病院にある設備では救えないというのです。

 そんな中、1つ明るいニュースなのは、地続きであるドミニカが医療サービスの提供を必死で行っていることです。ドミニカは、被災者に対して無料での診療を申し出ていますし、例えば、MLBのヒューストン・アストロズで松井稼頭央選手のチームメイト(一部にはオリオールズ復帰という噂もあるようです)である、ミゲル・テハダ選手は、ドミニカの出身なのですが、私財を投げ打って大量の飲料水や食糧をドミニカ側からハイチに送る行動を始めているそうです。かつては、同じイスパニョーラ島の中で、不仲であったドミニカがハイチの救援に動いているというのは、惨事の中にあって少しだけホッとさせられるニュースに違いありません。

 ですが、更に心配なのは、衛生状態や伝染病に関しては、これから悪化が予想されているということです。とにかく、被災から1週間が経ちましたが、生と死の闘いはまだまだ続いているようです。一部の報道では、日本からの緊急医療チームは首都に入れずに郊外で軽傷者の治療を行っているだけだと言います。その医療チームは26日で一旦は撤収するというのです。その後については、自衛隊が継続的な医療援助を行う検討をしているようですが、自衛隊だけでなく、民間の緊急医療チームも交代で大規模な派遣へと拡大できないのでしょうか。今ならまだ大勢の人が救えるのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ロ・中国の関係悪化目指す米の取り組みでEUが被害=

ワールド

トランプ氏、対イラン軍事作戦未定 会談の可能性も示

ビジネス

塩野義、鳥居薬TOBが成立 完全子会社化の手続き実

ビジネス

日鉄によるUSスチールの買収完了、米政府が黄金株保
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:コメ高騰の真犯人
特集:コメ高騰の真犯人
2025年6月24日号(6/17発売)

なぜ米価は突然上がり、これからどうなるのか? コメ高騰の原因と「犯人」を探る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越しに見た「守り神」の正体
  • 2
    イタリアにある欧州最大の活火山が10年ぶりの大噴火...世界遺産の火山がもたらした被害は?
  • 3
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 4
    下品すぎる...法廷に現れた「胸元に視線集中」の過激…
  • 5
    【クイズ】「熱中症」は英語で何という?
  • 6
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 7
    ホルムズ海峡の封鎖は「自殺行為」?...イラン・イス…
  • 8
    「アメリカにディズニー旅行」は夢のまた夢?...ディ…
  • 9
    ロシア人にとっての「最大の敵国」、意外な1位は? …
  • 10
    電光石火でイラン上空の制空権を奪取! 装備と戦略…
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越しに見た「守り神」の正体
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未…
  • 6
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?.…
  • 7
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 8
    イタリアにある欧州最大の活火山が10年ぶりの大噴火.…
  • 9
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 10
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 3
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 4
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 5
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 6
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 7
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 8
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 9
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 10
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story