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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
「反テロ戦争」からの脱却はどうして難しいのか?
それにしても間一髪でした。クリスマスにデルタ航空機で自爆テロを決行しようと言う事件は、周辺の乗客と乗員による瞬時の機転で未然に防ぐことができました。アメリカの保守派は、爆薬や劇薬を持ち込んだ若者がブラックリストに載っていながら搭乗できたのは「何故か」とカンカンです。早速「アルカイダの計画的犯行」だとして「危機感の薄い民主党」の責任追及を始めるなど、時間の歯車がブッシュ時代に巻き戻ったようです。
大統領がハワイで休暇を取っていたのが許せない、ナポリターノ国土保安長官が姿を見せないのはどうしてか・・・事件のあった25日から26日にかけて、たまたまクリスマス休暇に帰省していなかった一部の共和党議員はFOXニュースなどで言いたい放題という状態でした。結果的に大統領は空港での保安検査体制を見直す声明を出し、ナポリターノ長官はCNNのジョン・キング記者のインタビュー番組に急遽出演することになりました。
この辺りの政治力学に、現在のオバマ政権の抱えている困難があるように思います。公的資金注入による金融危機回避や医療保険制度改革など「大きな政府論」による政策を遂行すると保守派が抵抗する、そんな中ではアフガン戦争からの撤退は政治的に命取りになる、そうした国内の政治力学が続いています。そんな中では、アフガン増派を決断せざるを得ない、すると結果的にアフガンでの一般市民殺傷などの事例を増やし、全世界の反米イデオロギーに口実を与えてしまう、こうした悪循環が一つあります。
また、今年6月のカイロ演説で「イスラムとの和解」を打ち出したのは良いのですが、その後に「政権としての更にイスラムとの和解を進める具体策」はほとんど進んでいないという問題もあります。また「和解のもう一方の当事者」であるべきアメリカ国内の保守派に対する、「イスラムを理解させる」動きもほとんどありません。更にいえば、カイロで打ち出したイスラエルへの「西岸入植の自制要求」など思い切った中東和平政策についても、その後のフォローは足りないのです。そんな中、イスラム圏全体への「漢方薬的なアプローチ」での反米感情を沈静化する政策も停滞していると言えるでしょう。
もう一つは「反テロ戦争」という定義の問題です。9・11以降のブッシュ政権は、テロ対策の柱としては「テロリスト支援国家」への制裁やテロ防止行動に「正規軍」を投入し、戦時国際法上の戦闘行為や軍事裁判という「殺しのライセンス」を拡大解釈して対応してきました。これは、9・11のテロ被災にあたって、被災地であるNYやアーリントン(国防総省の所在地)ではなく、無関係の中西部などで湧き起こった巨大な報復感情を行動に移すには「それしかなかった」というのが主因です。そうした感情が沈静化した現在でも「反テロ」とは「戦争」であるという定義をオバマ政権は下ろすことができていないのです。
この点に関しては、テロ行為について各国の国内法規による刑事犯として取り締まる、それでカバーできない範囲では国際条約による警察活動的機関を設置して取り締まるという枠組みが必要に思うのですが、今回の事件を見て思うのは、そうした強権的な取り締まりでは不十分だという問題です。
今回の容疑者、ウマル・ファルーク・アブドゥルムタラブというナイジェリア国籍の男は、少年の面影を残した23歳の青年で、同国の著名な銀行家の息子であり、またロンドン大学で工学を履修したというのですから国際的に見てもエリート階層に属しています。こうした出自に関して言えば「アルカイダの影響力が貧困層ではなく中産階級にも及んだ」という解説が多く見られますが、私に言わせれば「生きることに必死」であり「同時に生きることの手応えを感じる」ことのできる貧困層の自尊感情に比べれば、「裕福な家に生まれ」ながら「異文化に放り込まれて被害者意識を抱く」この種の半端なエリートの方が自尊感情の脆弱な、従って人格が自壊に向かう危険は大きいように思うのです。
今回のケースに関しては、父親が自分の息子が「過激思想に接近している」と米国大使館に通報しているなど、極めて個人的な問題が根にあるようです。個人的な問題というのは、容疑者の信仰の問題だけでなく、息子を「アメリカに売る」ような「資産家」とその息子の関係性全体に病理があるということです。いずれにしても、こうした個人的な問題で力を発揮するのは、正規軍の武力でもなく、国際的な警察力や電子盗聴システムによるスパイ活動でもないと思います。
重要なのは、こうした問題を抱える若者に向き合い、その問題解決をサポートするカウンセリングのシステムだと思うのです。また、そのような異文化から来た学生を精神的に追い詰めないキャンパスの多様性の確保ということも重要でしょう。思い起こせば、9・11の主犯格であったモハメッド・アッタの場合も、エジプト出身の技術者で、ドイツの大学で学びながら反米思想に接近しています。私にはこの二人がどうしても重なって見えてしまうのです。
実はこうした点に関しては、アメリカの大学は非常に洗練されたシステムを持っています。徹底した多文化主義やカウンセリング体制を競うようにして導入し、そうしたアプローチでキャンパスの治安を守っているのです。例えば、非イスラム圏の大学で、女子学生の「ベール」に対して最も寛容なのはアメリカの大学ではないかと思います。問題は、そうしたアメリカの包容力を「善」と感じた若者はそのままアメリカに残ってしまい、故郷に戻って「架け橋」になろうという数は少ないのと、そのようなアメリカが一方ではイラクやアフガンでの戦争を止められないために、原理主義者のターゲットになってしまうということです。
今回の事件を教訓にするのならば、とにかく「漢方薬的な」イスラムとの和解政策を停滞することなく形にしてゆくこと、ヨーロッパの大学に学んで、そこで100%ハッピーでなかったからといって、アメリカに憎悪を向けるような「裕福な生まれの」若者を精神的に救済するシステムを作ること、そうしたマクロとミクロの政策を進るべきだと考えます。来年こそは、戦争だと叫んで相手を喜ばすのではなく、真に有効なテロ対策の年にして欲しいと思うのです。
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