コラム

さらば松井秀喜、エンゼルスは最高のチョイス

2009年12月16日(水)14時27分

 私は長年のヤンキースファンです。特にこの7年間は、ニュージャージーから電車と地下鉄を乗り継いでヤンキースタジアムへ行けば、そこには常に55番の松井選手がいる、それが当たり前になっていました。野球をやってきた我が家の子供達に取っても、ヤンキースの松井選手という存在と共に育ってきたと言って良いでしょう。

 その松井秀喜選手は、今回遠く西海岸のエンゼルスに移籍することになりました。ヤンキースファンとしては残念でなりませんし、これからヤンキースタジアムに行っても「ピンストライプのゴジラ松井」が見られないと思うと限りない淋しさを感じます。ですが、あえて言うなら、エンゼルスは最高のチョイスだと申し上げることにします。この移籍は、エンゼルスに取っては非常に計算された決定であり、もしかするとヤンキースのキャッシュマンGMと、レッドソックスのエプスタインGMは来季のある時点で「しまった」と思うかもしれません。

 何といっても、エンゼルスはマイク・ソーシャという稀代の戦略家が監督として率いているチームです。ソーシャ監督という人は、厳格なまでに選手の状態と心理を計算して戦ってくる指揮官であり、そのセオリーは緻密です。緻密と言ってもそこはメジャーですから、送りバントばかりということはありません。強打者を並べた打線を作り上げて、そこでパワーをどう発揮するか、強打に行って失敗した後でどうモメンタムを維持するか、そうしたマネジメントに秀でているという意味です。

 一度の失敗を責めることはせず、必ずセカンド・チャンスを与える、それも勝負のかかった重要な場面で前回の失敗を挽回するチャンスを与える、そして選手をメンタルな部分で蘇生させる、そんな心理作戦も巧みな監督です。そして2度続けて失敗した選手には、厳しい判断を下す過酷な面も持っています。あえて日本の野球界で比較をするならば、川上哲治氏に近い指揮官だと言えるでしょう。野村、広岡、森といった名前も浮かびますが、ソーシャ野球というのはやはり川上野球が最も近いのではと思います。

 では、そうしたソーシャ監督とのコンビネーションは、どうして松井選手に取って意味があるのでしょう。まず、日本野球の神髄である精緻な作戦と、パワーを併せ持った松井秀喜という選手は、恐らくはソーシャ監督の理想に近いバッターであると思われるという点があります。過去の数多くの対戦で、それは監督の脳裏にイヤというほど刻み込まれているに違いありません。評価され期待されて使われるというのは、やはり野球選手に取って大事なことだと思います。

 もう一つの点は、やがては野球指導者としての立場に進むであろう松井選手にとって、ソーシャ監督の用兵術を間近に見るというのは、良い経験になると思われるからです。攻撃陣を発奮させるマネジメントもそうですが、何といってもソーシャ野球の神髄は継投策です。かつて、長谷川滋利選手の才能を見抜いてセットアッパーとして重用したように、投手の性格を把握しながら、局面に応じたフレキシブルな起用法を見せる点は、近くで見ていれば必ず勉強になるに違いありません。

 エンゼルスというのは、アメリカンリーグ西地区の覇者です。恐らくその位置づけは来季も変わらないでしょう。となれば、東のヤンキースやレッドソックスにとっては、ワールドシリーズへ行くためにはどうしても倒さなくてはならない相手ということになります。今回の松井秀喜選手の獲得というのは、そのポストシーズンをにらんだ他地区の強豪に対する宣戦布告だとも言えるでしょう。

 アメリカのビジネスマンは、自分がリストラの対象とされる気配があると、必死になってヘッドハンターなどとコンタクトを取って自分から転職していきます。そうした自分のプライドを守り、自分のモチベーションを高めて能力を磨いていくのです。松井選手と代理人のアーン・テレム氏は、正にそのセオリー通りに動いたのです。

 楽しみなのは、ヤンキースタジアムで行われる来季のエンゼルスとの初戦です。赤いユニフォームを着た松井選手が登場したら、全米で一番「えげつない」と言われるヤンキースファンはどんなリアクションをするでしょうか? 私はブーイング10%、拍手90%で、最終的にはスタンディングオベイションになるのではと思います。松井選手のFAは彼がヤンキースを見捨てたからではないのをファンは理解しています。ですから、過去の7年間への、とりわけ2009年のワールドシリーズを勝利に導いたことへの感謝の拍手が湧き起こるのは当然だと思うのです。今からそのシーンを見るのが楽しみです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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