コラム

『12日の殺人』、未解決事件の深層に挑みフランス映画界を震撼させる

2024年03月14日(木)19時30分

マルソーには具体的な事情がある。彼はヨアンに離婚の危機にあることを打ち明ける。詳しくは書かないが、彼が妻を妊娠させられなかったことが原因であり、そのせいで彼は男女関係、特に男性性に対して敏感になっているように見える。

そんなふたりは、捜査線上に浮かんだ男たちの実態に打ちのめされていく。クララの彼氏だと思われたウェズリーには本命の彼女がいた。クララについては、バイト中に親切にしたら、その気になられ、つきまとわれたという。ジュールは、クララにボルダリングを教えただけでなく、セフレだったとあっさり認める。彼は、目の前でマルソーが睨みつけていても、思い出し笑いが止まらなくなる。

 
 

捜査チームは盗聴も行う。ウェズリーは、電話に出ない本命の彼女の留守電に、クララはどうでもいい女だったというメッセージを残す。ジュールは凝りもせず、別の女の子をボルダリングに誘っている。

そして元カレのギャビが自ら出頭してくる。事件を連想させるようなラップを自作したことが問題になると考えたからだ。チームはまだその情報をつかんでいなかった。そこですぐにYouTubeで確認することもできたが、マルソーはギャビに、その場でビートなしでラップを再現するように命じる。

この場面はある種の伏線になっているともいえる。ヨアンとマルソーはラップにまったく違う反応を示す。ヨアンは微動だにせずギャビを凝視している。マルソーは、「覚悟しろ、クララ、炎に包まれろ、黒焦げにしてやる」といった言葉を聞くのが精一杯であるかのように、目をそらし、途中でやめるように命じ、感情的になって彼を問い詰める。

ヨアンとマルソーはまったく異なるかたちで追い詰められる。すべて内に抱え込んだヨアンは、自己を制御することが難しくなりつつある。密かに捜査資料を持ち帰るほどのめり込み、クララの焼死体や男たちが脳裏に焼き付いて眠ることができない。相変わらず自転車でトラックを周回するものの、心は乱れている。

マルソーは、そんなヨアンをモルモットのようだと表現するが、そこに象徴的な意味を読み取ることもできるだろう。事件が起こった町モーリエンヌは、山々に囲まれた閉ざされた空間であり、自転車競技場のトラックのイメージに重なる。事件にとらわれたヨアンは、閉ざされた空間を虚しく回りつづけているともいえる。

そんな印象を持つのは、単にイメージが重なるからだけでなく、マルソーの行動とも無関係ではないように思えるからだ。捜査線上には、さらに4人目、5人目の人物が浮かび、ギャビのときですら危うかったマルソーは、暴力的な容疑者に感情を抑えられず、暴走して一線を越えてしまう。

その後、町から署に戻る車中でヨアンと激しい口論になったマルソーは、車を降り、一直線に山の方角に向かい、姿を消す。その行動は、閉ざされた輪を突き抜け、去ることを意味しているように見える。

結末への道再捜査が照らし出す未来と和解の可能性

物語はそこで区切りがつけられるが、それにつづく場面も計算されているように思える。消えた男に対して、ひとりの女性が現れ、裁判所に入っていく。彼女は判事で、執務室におけるヨアンとのやりとりで、それが3年後であることがわかる。

判事は事件の再捜査を促す。いまだ事件に取り憑かれているヨアンは、「犯人が見つからないのは、すべての男が犯人だからです。男と女の間にある溝です」と語る。だが、次第に彼女の言葉に動かされ、再捜査に乗り出す。

判事の協力を仰ぎ、新たに女性捜査官も加わった捜査は、男だけの捜査とは明らかに空気が違う。特に印象深いのは、ヨアンが、彼にリンドウの花の写真を送ってきたマルソーのことを、女性捜査官に「友達」と説明することだ。再捜査で変化する彼は、もはや閉ざされた空間を虚しく周回する人間ではなくなっている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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