ボスニア紛争、わらにもすがる思いに誰もが打ちのめされる『アイダよ、何処へ?』
通訳である彼女は、状況が最悪の方向に向かっていることを知りつつも...... 『アイダよ、何処へ?』
<ボスニア紛争末期にスレブレニツァで起こった虐殺事件が描き出される>
『サラエボの花』や『サラエボ、希望の街角』でボスニア紛争の傷跡を描いてきた女性監督ヤスミラ・ジュバニッチの新作『アイダよ、何処へ?』では、紛争末期にボスニア東部のスレブレニツァで起こった虐殺事件が描き出される。
本作には、「本作は事実に基づく/ただし登場人物や会話には創作が含まれる」という前置きがある以外、特に背景説明もないまま1995年7月11日から13日に至る3日間が切り取られ、独自の視点で刻一刻と変化する状況が浮き彫りにされていく。その間に起こったことを簡潔にまとめれば以下のようになる。
スレブレニツァは、ムスリムの領土のなかで人口密度が高い孤立地域のひとつで、国連安保理によって"安全地帯"に指定され、軽装備の国連保護軍が派遣されていた。そこにセルビア人勢力が侵攻し、安全地帯を占領。2万人以上の住人たちが市街地の外れにある国連保護軍の基地に押し寄せる。
セルビア人勢力の軍司令官ムラディッチ将軍と国連保護軍、住民代表の会談が行われ、将軍が調達したバスで避難民を移送することになる。ところがセルビア人勢力は、監視にあたる国連軍の準備が整う前に、一方的に移送を開始。避難民が選別され、女性や老人はムスリムが支配する地域に運ばれ、男性は行方不明になる。その後、次第に虐殺の実態が明らかになっていく。
国連保護軍が管理する基地で通訳として働くアイダ
このあらましが頭に入っていると、ジュバニッチ監督の独自の視点がより明確になる。それはまず何よりも主人公の設定に表れている。地元民であるアイダは、国連保護軍のオランダ部隊が管理する基地で通訳として働いている。だから変化する状況を間近に見ている。
さらに、彼女とその家族の立場をめぐる見逃せないエピソードがある。保護を求めて押し寄せた住人のなかで、基地に収容されたのは一部であり、多くの避難民が基地の外に取り残されていた。基地内で対応に当たっていたアイダは、夫とふたりの息子のひとりが基地の外にいることを知り、何とか引き入れようとするが、職員の家族だけを優遇することは許されない。
そこで彼女は、ムラディッチ将軍との会談に臨む代表を募っていた国連保護軍の少佐に、校長である夫を強く推奨し、代表のひとりに決まった夫と息子を基地内に迎え入れる。セルビア側が、国連保護軍の通訳が会談に参加することを嫌がっていたため、アイダが会談に臨むことはないが、彼女の家族が関わる。そのことによって本作では、セルビア人勢力と国連保護軍、住人の駆け引きとアイダと家族の運命が終始、複雑に絡み合っていくことになる。
「私は悪魔と握手してしまったように感じた」
そしてもうひとつ、筆者が注目せずにいられなかったのが、国連保護軍オランダ部隊の司令官カレマンス大佐の立場や行動だ。彼はアイダと家族の運命にも大きな影響を及ぼすが、理由はそれだけではない。
この司令官の存在は、スレブレニツァの虐殺の1年前にルワンダで起こった多数派フツ族による少数派ツチ族の大量虐殺、そのときにPKO部隊UNAMIR(国連ルワンダ支援団)の司令官として活動していたカナダの軍人ロメオ・ダレールが後に発表した『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか----PKO司令官の手記』を思い出させる。
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