コラム

描かれるアパレル帝国の闇 『グリード ファストファッション帝国の真実』

2021年06月18日(金)15時30分

こうしてパーティの招待客やスタッフだけでなく、難民までもが見せかけの古代ローマの世界に引き込まれていく。しかし、ふたりの登場人物が、その世界に反発し、マクリディに敵意を向けていく。ふたりの立場にはひねりが加えられているが、一方はユーモラスで、もう一方はかなりシリアスといえる。

ひとりは、父親であるマクリディとの間に深い溝がある息子のフィンだ。そもそもギリシャのリゾート地で古代ローマの世界を再現すること自体かなり滑稽なことだが、たまたまニックと言葉を交わすことになったフィンは、「オイディプス王」をネットで読んだといって、父親殺しについて語りだす。

そんなフィンは、マクリディの愛人に想いを寄せていて、パーティでは彼女とダンスを楽しむが、そこに現れた父親に引き離され、怒りに駆られてある行動に出る。その行動には、伏線と見ることができるエピソードがある。導入部でネコのようにおとなしいライオンを見たマクリディが、「景気づけにコカインは?」と語ることだ。

もうひとりは、スリランカ出身で、マクリディが経営するブランドで働いていたが、その倒産後に、マクリディの女性スタッフの部下になったアマンダだ。パーティの当日、奴隷の衣装に着替えたアマンダと出会ったニックは、その沈痛な表情に気づき、彼女の話を聞く。かつてアマンダの母親に起こった悲劇は、マクリディと無関係ではなかった。そんな過去を背負う彼女は、自分がマクリディの「奴隷」になったことを嘆く。

「衣装を着ているだけだ、本物の奴隷じゃない」

そこで思い出す必要があるのが、ウィンターボトムの以前の作品『トリシュナ』(11)のことだ。そのヒロインであるトリシュナとアマンダは深く結びついている。

父親のホテル経営を引き継ぐ前に、最後の休暇としてインドのラジャスタン州を訪れたイギリス在住のジェイは、そこで生活に困っているトリシュナと出会い、恋に落ちる。そんなふたりは対等な関係を築くかに見えるが、やがて保守的なラジャスタンの世界に囚われ、主従関係の呪縛から悲劇が起こる。

ウィンターボトムはかつて筆者がインタビューしたときに、その関係を以下のように語っていた。


「この映画の背景のひとつにツーリズムやポスト・コロニアリズムがある。ジェイや彼の父親はホテルを経営することによって、日本やヨーロッパの観光客をマハラジャの邸宅だった建物に泊まらせたりして、植民地時代の経験をさせる。特にふたつ目のホテルに移ったときに、ジェイはのさばり、それこそマハラジャの王子のような態度をとるようになる。そういう意味ではネガティブなイメージがあるけど、一方で、ラジャスタンでは実際にホテルが一大産業になっている。それが特に女性に雇用機会をもたらしている。でもそこには矛盾もあり、トリシュナは本当に奴隷のようになっていき、彼女の同僚にはキャリアになっている」

ウィンターボトムは、このトリシュナを強く意識してアマンダというキャラクターを作り上げている。しかし、その苦しみはニックには理解できない。「衣装を着ているだけだ、本物の奴隷じゃない」という彼の言葉はなんの慰めにもならない。だから彼女はある行動を出る。

強欲を肯定する主人公

そして、フィンとアマンダの行動が重なることで、「手品と悲劇は紙一重なんだ」という言葉がブーメランとなり、マクリディを襲う。ただし、それが本作の結末とはいいきれない。ウィンターボトムは、サッチャーとレーガンの時代以後を象徴する人物として、マクリディを描いている。タイトルの「グリード」は、『ウォール街』のゴードン・ゲッコーを思い出させるかもしれない。ゲッコーと同じようにマクリディも強欲を肯定する。彼は、リチャード・グリーディ・マクリディと呼ばれているが、そのグリーディは彼が学生時代に自分でつけたギャンブルネームだった。

では、マクリディが消えたら世界は変わるのか。本作のエピローグで、フィンとアマンダのその後を見ると、マクリディの言葉がひとり歩きし、この世界が「手品」と「悲劇」で成り立っているように思わざるをえなくなる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

午前の日経平均は反落、FRB理事解任発表後の円高を

ビジネス

トランプ氏、クックFRB理事を異例の解任 住宅ロー

ビジネス

ファンダメンタルズ反映し安定推移重要、為替市場の動

ワールド

トランプ米政権、前政権の風力発電事業承認を取り消し
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 2
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」の正体...医師が回答した「人獣共通感染症」とは
  • 3
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密着させ...」 女性客が投稿した写真に批判殺到
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 6
    顔面が「異様な突起」に覆われたリス...「触手の生え…
  • 7
    アメリカの農地に「中国のソーラーパネルは要らない…
  • 8
    【写真特集】「世界最大の湖」カスピ海が縮んでいく…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京会場) …
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 3
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 6
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 7
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 8
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 9
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 10
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story