コラム

二人の女性の避けられない運命と内なる解放を描く『燃ゆる女の肖像』

2020年12月03日(木)17時20分

カンヌ映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞の二冠に輝いた『燃ゆる女の肖像』 (c) Lilies Films.

<18世紀の女性画家に対する女性監督の深い洞察が、ふたりのヒロインの複雑な心理を見事に炙り出していく...... >

カンヌ映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞の二冠に輝いたセリーヌ・シアマ監督の新作『燃ゆる女の肖像』では、18世紀の女性画家に対するこの女性監督の深い洞察が、ふたりのヒロインの複雑な心理を見事に炙り出していく。

物語は、画家マリアンヌが小舟でブルターニュの孤島にたどり着くところから始まる。彼女はその島に建つ館に暮らす伯爵夫人から、娘のエロイーズの見合いのための肖像画を依頼されていた。

伯爵夫人と対面した彼女は、その依頼に一風変わった条件があることを知る。エロイーズには画家であることを伏せ、散歩の相手として振る舞い、内密に絵を仕上げてほしいというのだ。エロイーズは結婚を拒み、前に雇った画家には決して顔を見せなかった。

それでもなんとか肖像画を完成させたマリアンヌだったが、エロイーズにその絵を否定され、自ら顔の部分を拭ってしまう。描き直しを要求する彼女に、エロイーズがモデルになることを申し出たため、伯爵夫人は彼女が島を離れる5日間だけ猶予を与える。正面から向き合うことになったふたりは、お互いを知り、やがて一線を越えるが、別れのときは刻一刻と迫っている。

女性画家の多くは匿名での活動を余儀なくされていた

眼差しや表情で複雑な感情を表現するノエミ・メルランとアデル・エネルの演技、蝋燭や暖炉、焚火の炎による陰影や変化に富む海岸線の景観を絵画のようにとらえた映像も素晴らしいが、やはり当時の女性画家の立場を押さえた脚本がなければ本作は成り立たない。

そこでまず頭に入れておきたいのが、アメリア・アレナスの『絵筆をとったレディ--女性画家の500年--』にある以下のような記述だ。これが大前提になるだろう。

images1203b.jpeg

『絵筆をとったレディ--女性画家の500年--』アメリア・アレナス 木下哲夫訳(淡交社、2008年)


「十九世紀まで(そして場合によっては二十世紀に入ってかなりの時が経過するまで)、傑出した女性美術家といえばたいがいが著名な美術家の娘、妻、あるいは愛人に決まっていた。何世紀にもわたり、画家と彫刻家は、金細工師や家具職人など『高度な技術を有する』職人の大半と同様に、ごく年少の頃に徒弟として専門職の工房に弟子入りし、修業を終えて独り立ちするとギルドの会員になる教育課程を経たものだが、女性にはこうした道は閉ざされていた」

さらに同書でもうひとつ注目したいのが、以下の記述だ。


「十八世紀には王侯貴族の用命に応える女性肖像画家の新たな一群が台頭する。大いに盛名を博したこれらの女性たちは、啓蒙時代のヨーロッパ諸国の宮廷とよく馴染んだ」

シアマ監督が特に関心を持ったのがこの時代で、1770年の画家を想定してマリアンヌのキャラクターを作り上げているが、彼女のリサーチの結果は少し異なる。


「実際は100名ほどの女性画家が成功をおさめ、その作品の多くは有名美術館の所蔵品となっているものの、歴史に書き手の名は残っていない」(プロダクションノートより)

つまり、女性画家の多くは匿名での活動を余儀なくされた。本作は、そうしたことを踏まえてみると、ディテールがみな興味深く思えてくる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

プーチン氏「欧州と戦争望まず」、戦う準備は完了

ビジネス

ユーロ圏インフレは目標付近で推移、米関税で物価上昇

ワールド

ウクライナのNATO加盟、現時点で合意なし=ルッテ

ワールド

紛争終結の可能性高まる、容易な決断なし=ゼレンスキ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    大気質指数200超え!テヘランのスモッグは「殺人レベル」、最悪の環境危機の原因とは?
  • 2
    トランプ支持率がさらに低迷、保守地盤でも民主党が猛追
  • 3
    海底ケーブルを守れ──NATOが導入する新型水中ドローン「グレイシャーク」とは
  • 4
    若者から中高年まで ── 韓国を襲う「自殺の連鎖」が止…
  • 5
    「世界一幸せな国」フィンランドの今...ノキアの携帯…
  • 6
    もう無茶苦茶...トランプ政権下で行われた「シャーロ…
  • 7
    【香港高層ビル火災】脱出は至難の技、避難経路を階…
  • 8
    22歳女教師、13歳の生徒に「わいせつコンテンツ」送…
  • 9
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 10
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 3
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 4
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 5
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 8
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 9
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 10
    子どもより高齢者を優遇する政府...世代間格差は5倍…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 4
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 9
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story