コラム

日銀の長期金利操作政策が奏功した理由

2017年02月06日(月)15時30分

結局は「トランプ」によって実現された受動的緩和

こうした金融政策と財政政策の協調が、どの程度まで意図的であったのかは、部外者には分からない。それは、財政と金融の同時的拡張を意味するヘリコプター・マネー政策が既に昨年夏頃から経済論壇で論争の的になっていたことを考えると、金融政策の手詰まりという状況が必然的に生んだ「意図せざる協調」であった可能性もある。他方、ヘリコプター・マネー政策の唱導者であるアデア・ターナー元英金融サービス機構長官が年初に来日し、安倍晋三首相と面談したという事実からは、ある種の明確な「意図」も感じられる。

もちろん、こうした「財政政策に頼る金融政策」に対しては、「政策決定の独立性が保証される中央銀行にとっては、政府の政策は前提ではあっても要件ではあり得ない」という原理的批判は依然として成立する。実際、政府がどのような財政政策を行うかは、あくまで政府の問題であり、日銀には何ら権限はない。そして、仮に政府が赤字国債の発行を十分に拡大させないということになれば、日銀の長期金利操作政策は必ず行き詰まってしまうのである。

ところが、日銀は結果として、この危ういジレンマ状況から、思わぬかたちで脱出することができた。そしてそれは、日本の財政政策によってではなく、アメリカ大統領選におけるトランプの勝利によってであった。

昨年11月のアメリカ大統領選挙におけるトランプの予想外の勝利は、昨年6月末のブレグジット・ショックの再来ともいうべきトランプ・ショックを市場にもたらした。しかしながら、そのショックによる円高株安の進行はわずか一両日で反転し、その後はほぼ年末に至るまで、日米同時株高、米長期金利上昇、円安ドル高という「トランプ・ラリー」が続いた。それは、トランプの奇矯なキャラクターの背後に隠れていた「減税と公共投資」という政策公約が、現実におけるトランプの勝利によって改めてクローズアップされたためである。市場関係者たちは、そのような政策は、1980年代のロナルド・レーガン共和党政権によるいわゆるレーガノミクスがそうであったように、株高、長期金利上昇、ドル高をもたらすだろうと考えたのである。

【参考記事】トランプで世界経済はどうなるのか

このトランプの勝利によって生み出されたマクロ政策レジームの転換は、日本の金融政策に対して、財政拡張よりもさらに強力な「二重の拡張効果」をもたらした。その第一は、長期金利の上昇圧力から生じる「受動的緩和」である。そして第二は、日米間の長期金利格差拡大から生じる円安ドル高である。

アメリカで減税と公共投資が実行されるということになれば、アメリカの財政赤字は拡大し、長期金利が上昇することになる。トランプの勝利ののちにアメリカの長期国債金利が突如として上昇し始めたのは、まさしくそれを見越してのことである。

ところで、資本移動の自由が許容された国際金融市場においては、各国の長期金利はある程度まで連動する傾向がある。したがって、アメリカの長期国債金利が上昇すれば、それは通常は日本の長期国債金利を引き上げる効果を持つ。ところが、日銀は長期金利をゼロ近傍に維持する政策を行っているのだから、その長期金利の上昇は許容されない。日銀は、その長期金利上昇圧力の抑制のために、必ず長期国債の買い入れを拡大する。その結果として、金融の「受動的緩和」が実現されるのである。

これは、基本的には上の「財政拡大による受動的金融緩和」のメカニズムと同じである。しかし、この米国債金利の上昇を起点とする金融緩和には、財政拡大では得られないもう一つの重要な効果が存在する。それは、日米間の長期金利格差拡大から生じる、金利裁定を通じた円安ドル高である。

トランプの勝利以降、アメリカの10年国債利回りは、それ以前の1.8%前後から2.5%前後まで上昇した。それに対して、日本の10年国債利回りは、日銀の金融調節によってゼロにコントロールされている。その結果、日米間の金利格差は必然的に拡大する。その場合、投資家は当然ながら、日本国債を手放して米国債に乗り換えようとする。結果として、円安ドル高が進む。金利裁定の考え方によれば、その円安ドル高がどこまで進むかといえば、それは「円に対するドルの将来的な下落幅が日米間の金利格差に等しくなるまで」である。それは、日米間の金利格差が拡大すればするほど円に対するドルの将来的な下落幅が大きくなる必要があり、そのためには現時点における円安ドル高が必要になるためである。

実際、トランプの勝利以降、2016年に入って一時は1ドル100円前後まで進んでいた円高ドル安の流れは、完全に反転した。日本経済が2016年に冴えなかった最大の理由がこの円高であり、それが同時に日銀を苦境に追い込んでいたことを考えれば、トランプの勝利による政策レジーム転換は、日本経済にとってはまさに干天の慈雨であったといえよう。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

シェル、第1四半期は28%減益 予想は上回る

ワールド

「ロールタイド」、トランプ氏がアラバマ大卒業生にエ

ワールド

英地方選、右派「リフォームUK」が躍進 補選も制す

ビジネス

日経平均は7日続伸、一時500円超高 米株高や円安
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    インドとパキスタンの戦力比と核使用の危険度
  • 5
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 6
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    目を「飛ばす特技」でギネス世界記録に...ウルグアイ…
  • 9
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story