コラム

中国を変えた男

2014年02月21日(金)10時00分

 今から6年前の北京五輪直前、本誌2008年8月6日号は『中国を変える47人』という特集を掲載した。経済開放が始まった80年代の中国で子ども時代を過ごし、青少年期に89年の天安門事件を経験。市場経済が大きく広がった90年代に社会に出る、という体験を共有した当時30〜40代前半の中国人を「革命第7世代」と位置づけ、それまでの世代とはまったく違う価値観を持つ彼らの素顔と中国の将来について探る趣旨の企画だった。

 北京の弁護士、浦志強(プー・チーチアン、49歳)も「第7世代」として取り上げた47人の1人だ。浦について6年前の記事はこう紹介している。


 消費者被害事件や、メディアの言論の自由にかかわる裁判を手がける北京の弁護士浦志強(43)は、今年の天安門事件記念日(6月4日)が近づいたある日、公安警察の車に乗せられ「6月3日と4日は家から出るな」と警告された。

 公安が浦をマークするのは、その影響力ゆえ。浦はかつて、政府が取り締まらず被害が拡大した美容整形業者による有毒豊胸事件で、十数万人の中国女性を助けた。大学院生だった89年に民主化デモに参加し、処分された過去も関係あるだろう。

 浦は天安門事件後の処分で教員として大学に残る夢を断たれ、就職を受け入れてくれる国の機関もなく、市場の経理などの職を転々としながら弁護士資格を取得した。彼にとって、弁護士は家族を養うための仕事にすぎなかった。歴史に翻弄された自らの人生を受け止めることができず、今も運の悪さを嘆くことがある。

 それでも政府を刺激しかねない自由や人権に関する訴訟を引き受けるのは、他人の言いなりになどならないという価値観が根底にあるから。「誰の命令も聞かない。だから公安も政府も私をどうすることもできない」と、浦は言う。

 47人の中には今も活躍を続ける人が多いが、正直「消えた人」もいる。その中で、浦は確実に「中国を変えてきた」といえる1人だ。08年に本誌が紹介した後も、ずさんな建築ゆえ四川大地震で学校校舎が相次いで倒壊し、多くの児童の死者が出た「おから建築」について調査していただけで逮捕・起訴された民間活動家、譚作人の弁護や、反政府的な言動ゆえに当局に巨額の追徴課税を課せられた現代芸術家アイ・ウェイウェイの訴訟代理人を務めた。

 裁判も経ないまま市民を拘留、強制労働させる「労働教養制度」が昨年秋の共産党の重要会議「3中全会」で廃止されることになったが、この制度の問題点を指摘し続けたのも浦だった。最近、浦が重きを置いているのが、中国政府が弾圧する「新公民運動」の弁護活動だ。出稼ぎ労働者の教育機会均等や、政府高官の資産公開を求める新公民運動は、法律学者の許志永が12年に始めた。当局は昨年7月、許が街頭で横断幕を掲げ、ビラを撒いた行為をとらえて公共秩序騒乱罪で拘束。先月、北京の裁判所が5日間という異例のスピード審理で懲役4年の実刑判決を下していた。

 胡錦濤主席と温家宝首相は(わずかながらとはいえ)期待された民主化や政治改革をほとんど実現できないまま、昨年春に表舞台を去った。中国政界のスターだった薄煕来の大スキャンダルを経て誕生した習近平政権は、労働教養制度の廃止など「アメ」をちらつかせる一方で、メディアや人権・民主活動家への「ムチ」を強めている。日本人が領土問題と反日デモに目を奪われているうちに、中国の人権問題は大きく変化しつつある。

 そもそも新公民運動が要求していたのは、あからさまな民主化や基本的人権の保障ではない。北京や上海、天津など大都市の出身者は、都市住民の特権としてより低い点数で大学入試に合格することができる。米メディアが報じた通り、政府高官は当たり前のように経済的な特権を享受し、海外に資産を逃避させている。そういった特権を告発し、そもそも共産党が実現を目指すはずだった平等社会の実現を訴えただけで、なぜ懲役4年という重い刑に服さねばならないのか。 
 
浦志強

 浦は先日、東京大学で開かれた討論会に出席するため同じく人権派として知られる北京大学法学部教授の賀衛方と共に来日。その際、都内で筆者の取材に応じた(写真)。

「共産党はこれまで、経済活動を伴う団体活動は認めてきた。税金を納めれば結社も許される、ということだ。その一方で経済活動を伴わない、いかなる政治的な結社の自由も認めてこなかった」と、浦は言う。「新公民運動への対応は習政権の基本的姿勢をはっきり示している。市民社会の開放の動きや結社の自由は認めないし、民間が自分たちのやり方で政治権力や利益の再配分をすることを許さない、ということだ」

 習近平政権の政治状況は胡錦濤政権より悪くなっている――ただし、と浦は指摘する。「中国社会にはかならず『変数』が存在する。仮に習が中国社会を今よりもっと悪くしようと考えれば、社会から反発が必ず出る」。今回の許志永の一件では、(ネットでの)情報コントロールや異例の即決裁判そのものに多大なエネルギーが費やされた、これは習政権にとって必ずしも軽い負担ではない――。

 とはいえ浦自身が「中国の歴史は1歩進んで2歩後退することの繰り返し」と認めるように、中国や共産党政府が一筋縄ではいかないのもこの四半世紀の歴史を見れば明らかだ。現に浦たちの努力で廃止に追い込まれた労働教養制度だが、麻薬リハビリセンターや精神病患者用の施設として、形を変えて生き残る可能性が最近指摘されている。人権や民主化のために活動する人たちを「精神的に問題がある人物」とひとくくりにして拘束するのは、一党独裁国家にとってはそれほど難しくない話だ。

 浦たち中国の数少ない人権派は、89年以降も地道に中国政府の強引なやり方と闘ってきた。ただその一方で、共産党の率いる中国は半ば願望まじりで語られる無責任な「崩壊論」をよそに、人権や民主化にフタをしたままこの25年間で膨張を続けてきた。米金融大手ゴールドマンサックスの予測では、2050年にはアメリカ、インドそして中国が世界のGDPの半分以上を占めるようになる。その時、中国のGDPは既に斜陽のアメリカの2倍近い。もしその中国が、今のように人間1人1人の基本的人権を無視する超大国なら、われわれはこの国とどう向き合うべきなのか。

「まず忘れてほしくないのは、中国人民の権利が今も侵害されているということだ」と、浦は言う。「もう1つ忘れてほしくないのは、中国をそれほど悲観しなくてもいいということだ」。浦によれば、習近平が今やっていることは、彼の本心かどうか定かでないし、今のやり方を続けられるとも限らない。確かに人権、民主といったどんな社会でももつべき価値観をいつまでも押しとどめておくことは、中国人が豊かになればなるほど難しくなるだろう。

 中国は必ずしも「共産党が一党独裁する大国」なわけでもない。「中国をきちんとまとまった1つの国として見るのは間違いだ」と。浦は指摘する。「東部の地方政府と西部の地方政府、漢族の政府と少数民族の政府......共産党の中でもさまざまな利益集団がある。習近平は調整を迫られ、自分の意見を通すのは必ずしも簡単でないはずだ。ある意味、アメリカや日本の政府と同じと言っていい」。加えて政府が無視できないネットの爆発的な影響力拡大もある。だから長期的には必ずしも中国の将来を悲観する必要はない、変化は必ず起きる――と、浦は言う。「辛亥革命の前に、いったい誰が清朝があんなにあっさりと崩壊すると思っていただろうか」

 今年は日清戦争が起きて120周年、同じ「甲午」の年にあたる。当時の中国の宰相は李鴻章、現在は李克強と同じ李姓――不気味な一致だ。特に日本人は最近、中国の領土的・軍事的膨張に目を奪われ、中国国内の人権問題にかつてほど注意を払わなくなっている。「領土問題や南京虐殺といった歴史問題でなく、今の中国政府が新公民運動のような人権運動を弾圧していることを強く批判すべきだ」と、浦は言う。「日本政府はそれができる立場にある」

 中国の北方人らしく身長180センチを超える長身で、さらに角刈りの浦はこわもてで一見、警察官や軍人と見分けがつかない。ただその語り口は辛らつながらユーモアと皮肉にあふれており、聞く側の気をそらせない。その巨大な身体と存在感は、かつての毛沢東や現在の習近平を思わせるほどだ。天安門事件で民主化運動の渦中に飛び込み、ハンガーストライキに参加した浦には、事件から25年経った今もあの初夏の熱気が漂っていた。そんな浦が今後の中国をどう変えていくのか、日本人はもっと注目していい。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

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