コラム

風化させてはいけない...障害者殺傷を描く映画『月』は多くの人に観られるべき

2023年10月13日(金)14時35分
『月』

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<辺見庸の原作を大幅に改定して映画化。多くの人が忘れかけないと実際の事件を映画化できない日本で、覚悟を決めた石井裕也監督に強く共感>

2020年3月、相模原市知的障害者施設殺傷事件の実行犯である植松聖(さとし)に僕は面会した。

この数日前に植松は一審で死刑判決を下されていた。でも控訴しないつもりらしい。ならば死刑が確定する。面会や手紙のやりとりができなくなる。控訴すべきだと僕は透明なアクリル板越しに言った。

あなたは自分が起こしたこの事件の背景や理由について、もう少し考える時間を社会に与えるべきだ。




ほほ笑みながら植松は、「無理ですよ」と首を横に振った。「それは筋が違います」とも言った。表情は柔和だが言葉は強い。

犯行前に植松が大島理森衆議院議長(当時)に宛てた手紙には、具体的な犯行予告だけではなく、「私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも知れません」と書かれており、その最後には、犯行後は自由な生活と5億円の支援を確約してほしいと記されている。明らかに常軌を逸している。

でも精神鑑定の結果は、重大犯罪の場合にはほぼお約束のパーソナリティー障害だった。理由は想像がつく。もしも責任能力がないということになれば処刑できなくなる。それは困る。多くの人が怒り狂う。だから最初から死刑判決以外はあり得ない。そんな裁判に意味はあるのか。

辺見庸の原作を大幅に改定した映画『月』について、あえて言葉を選ばずに書けば壮大な失敗作だと僕は思う。挿入された夫婦の縦軸は、出生前診断という命へのジレンマを体現するためだけの存在ではないはずだ。

でも他の要素が見えづらい。書くことや描くことと撮ること(つまり作ること)へのこだわりが生きていない。さとくんの変化の描線もよく分からない。彼が犯行を起こす前の施設の状況が大きな要因だったことは明らかになっているのだから、そこをもっと深く掘り下げてほしかった。

自作公開直前にこうした文章を書くことはつらい。どの面下げて、と自分でも思う。それを理由に補足するわけではないが、この映画は作られるべきだったし多くの人に観られるべきだ。思考のフックはたっぷりある。風化させてはいけない。石井裕也監督のその思いに強く共感する。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米家計・銀行・企業の財務状況は概ね良好=クックFR

ワールド

ガザ南部、医療機関向け燃料あと3日で枯渇 WHOが

ワールド

米、対イスラエル弾薬供給一時停止 ラファ侵攻計画踏

ビジネス

米経済の減速必要、インフレ率2%回帰に向け=ボスト
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食...止めようと叫ぶ子どもたち

  • 3

    習近平が5年ぶり欧州訪問も「地政学的な緊張」は増すばかり

  • 4

    いま買うべきは日本株か、アメリカ株か? 4つの「グ…

  • 5

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 6

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 7

    迫り来る「巨大竜巻」から逃げる家族が奇跡的に救出…

  • 8

    イギリスの不法入国者「ルワンダ強制移送計画」に非…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    ケイティ・ペリーの「尻がまる見え」ドレスに批判殺…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 7

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 8

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 9

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 10

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story