コラム

殺人者の逃避行でも、映画『悪人』に本当の悪人は1人もいない

2023年01月05日(木)15時10分

「聖人の仰せならば、私はなんでもします」と胸を張る弟子の唯円に、親鸞は「では1000人殺しなさい」と命じる。驚いた唯円が「私の器量ではできません」と答えると、「人を殺せないのはおまえが善人だからではない。同時に、殺害はいけないと思っていても、もしもそのような縁がもよおすなら100人、1000人と殺すのだ」と親鸞は言った。『歎異抄(たんにしょう)』で最後のフレーズは、「さるべき業縁(ごうえん)のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」。

この業縁を、僕は環境設定と訳す。善なる存在として人は生まれるが、環境によっていかようにも変わる。まさしくこの映画のテーマだ。

それは増尾を殺そうとしても殺せない佳乃の父親(柄本明)、メディアに追いかけ回される祐一の祖母(樹木希林)、あるいは一瞬だけ登場するバス運転手(モロ師岡)や増尾の友人(永山絢斗)の描き方からも明らかだ。何といっても深津絵里が素晴らしすぎる。白状するけれど、ラストは久しぶりに号泣した。

magmori230105_2.jpg『悪人』(2010年)
監督/李相日
出演/妻夫木聡、深津絵里、岡田将生、満島ひかり

<本誌2023年1月10日号掲載>

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中加首相が会談、李氏は関係強化呼びかけ カーニー氏

ワールド

米韓首脳が初の電話協議、関税合意に向け取り組みへ 

ビジネス

ECB当局者、インフレ見通しで二分 過度な低下に警

ワールド

独首相、米と自動車関税の相互免除提唱 トランプ氏と
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:韓国新大統領
特集:韓国新大統領
2025年6月10日号(6/ 3発売)

出直し大統領選を制する李在明。「政策なきポピュリスト」の多難な前途

メールマガジンのご登録はこちらから。
メールアドレス

ご登録は会員規約に同意するものと見なします。

人気ランキング
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 3
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシストの特徴...その見分け方とは?
  • 4
    ペットの居場所に服を置いたら「黄色い点々」がびっ…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    日本の女子を追い込む、自分は「太り過ぎ」という歪…
  • 7
    3分ほどで死刑囚の胸が激しく上下し始め...日本人が…
  • 8
    猫に育てられたピットブルが「完全に猫化」...ネット…
  • 9
    ウクライナが「真珠湾攻撃」決行!ロシア国内に運び…
  • 10
    「ホットヨガ」は本当に健康的なのか?...医師らが語…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story