コラム

「顔の俳優」高倉健は遺作『あなたへ』でも無言で魅せた

2020年08月29日(土)14時30分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<器用な俳優でなければ演技派でもない。決して端正でもないし、無骨な上に顔が大きい。それでも彼の映画を観てしまうのには理由がある>

高倉健は顔の俳優だ。

ずっとそう思っている。『網走番外地』や『昭和残侠伝』のシリーズは、さすがに時代が合わずほとんど観ていないが、東映専属時代の最後期の作品『新幹線大爆破』以降は、全てではないがほぼ観ているはずだ。

誰もが同意すると思うが、決して器用な俳優ではないし、もちろん演技派でもない。でも映画を観てしまう。だって顔がいいのだ。

売れる俳優の条件として、人柄が良いことは重要だ。映画の現場はキャストとスタッフが長く寝食を共にする。嫌な奴とは一緒の現場にいたくない。そして何よりも、内面は表情や声ににじむ。人は無意識領域でこれを感知する。演技ではごまかせない何かがある。

肩書の1つは映画監督だけどドキュメンタリーを専門にしてきた僕は、高倉健に会ったことはない。でも彼についての話はよく耳にした。あるベテラン俳優は、自分の出番がしばらくない「待ち」の状態なのに現場でずっと椅子に座らず立っているんだよ、と僕に教えてくれた。座ることを勧めても、みんなが仕事しているのだから立っています、と応じなかったという。高倉にはこの手の伝説が多い。半分を割り引いても、実際にそういう人だったのだろう。

表情の説得力がすさまじい

決して端正ではない。よく見ればかなり武骨だ。しかも顔が大きい。長身だから立ち姿はトミー・リー・ジョーンズに似ている。表情は豊かではないし、大笑いとか号泣するイメージはない。だから平板な俳優なのか。違う。せりふがないときの表情がとても豊かで、しかも微妙。顔だけで気持ちが分かる。いや、「分かる」のではなく「伝わる」。特に何かを決意するとき。何かをためらうとき。何かを願うとき。無言で唇を引き締め、一瞬だけ目が泳ぐ。かすかに吐息をつく。そんな微細な表情が言葉よりも豊かな思いを伝える。

例えば青函トンネル工事を描いた『海峡』。ラストで発破音とともにトンネルが貫通した瞬間、水にぬれた高倉の顔がスクリーンいっぱいに広がる。やはりせりふはない。顔だけ。でもそれで十分だ。何か事をなし得たとき、きっと人はこんな表情を浮かべる。その説得力がすさまじい。

高倉の作品は数多いが、今回は2012年に公開された『あなたへ』を取り上げる。監督は『冬の華』や『鉄道員(ぽっぽや)』など多くの高倉の作品でコンビを組んできた降旗康男。高倉にとっては『単騎、千里を走る。』以来6年ぶりの主演映画だ。ちなみに出演作品としては205本目。そしてこれが遺作になった。

【関連記事】若かりしショーケンと田中邦衛の青春映画『アフリカの光』をDVDでは観ない理由
【関連記事】『人間蒸発』でドキュメンタリーの豊かさに魅せられて

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ロシア、イラン・イスラエル仲介用意 ウラン保管も=

ワールド

イラン核施設、新たな被害なし IAEA事務局長が報

ビジネス

インド貿易赤字、5月は縮小 輸入が減少

ワールド

イラン、NPT脱退法案を国会で準備中 決定はまだ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 6
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 9
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 10
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story