コラム

『なぜ君は総理大臣になれないのか』は誰に向けた挑発か──小川議員の17年に僕たちの選択を思う

2020年07月10日(金)12時15分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<エリート官僚コースを捨て、誠実な政治家を志した一人の男に密着する記憶と記録のドキュメンタリー>

『なぜ君は総理大臣になれないのか』。相当に挑発的なタイトルだ。でもその挑発は誰に向けられているのか。被写体である小川淳也衆議院議員(立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム)なのだろうか。

小川は決して著名な議員ではない。でも昨年の国会で、「統計偽装や不正の疑惑について政権を鋭く追及し、SNSなどでは『統計王子』と称されて注目を集めた」と説明すれば、ああ、あの議員か、と思い出す人はいるはずだ。ちょうどこの時期、『ⅰ-新聞記者ドキュメント-』を撮影していた僕は、被写体である望月衣塑子記者と小川が議員会館の彼の部屋で話す状況を撮影した。熱い男だなあと思ったことを覚えている(最終的には編集で落としたが)。

大島新監督は、小川とは17年来の付き合いであることを作品の中で明かしている。つまり被写体との距離の近さを大島は隠さない。選挙活動などパブリックな場だけではなく、小川の家庭にまでカメラは入り込む。作品の冒頭で幼かった2人の娘は、終盤の選挙戦のシークエンスではすっかり大人になって、父の選挙を必死に手伝っている。

東大を卒業して自治省(現総務省)に入省した小川は、そのままのコースを歩めば超エリート官僚だったはずだ。しかし政治家を志した。地盤・看板・カバンは何もない。それほどに総理大臣になりたいのか。大島のこの挑発を小川は否定しない。

ならば野心だけの男なのか。もちろん野心もある。でも小川を突き動かしているのは、国民一人一人の幸福を本気で願う気持ちなのだ。

......さすがに自分の筆致が気恥ずかしい。でも正直な感想だ。それは17年間、小川を見続けた大島の思いでもある。誠実な男だ。そして本気なのだ。でもそれだけでは選挙に勝てない。選挙戦は毎回のように薄氷だ。所属する政党も民主党から始まって、民進党を経て希望の党から無所属になった。だから誤解も多いし風評も厳しい。街頭で市民に罵倒されるが、小川は頭を下げ続ける。

観ながらあなたは気付くはずだ。この映画は小川淳也という個人を被写体にしているが、テーマは日本の政治状況であることに。政治とはすなわち社会でもある。つまりこの作品は、アメリカがイラクに武力侵攻した2003年から現在に至るまでの、僕たちの記憶と記録のドキュメンタリーでもある。この間に日本でもいろいろあった。東日本大震災を機に民主党は政治の表舞台から退陣し、長い安倍政権の時代が幕を開けて、コロナ禍にあえぐ現在に至る。この間の政治の選択は誰がしたのか。どこかの誰かではない。主権者である僕たち一人一人だ。

【関連記事】『i―新聞記者ドキュメント―』が政権批判の映画だと思っている人へ

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米中閣僚協議、TikTok巡り枠組み合意 首脳が1

ワールド

トランプ氏、FRBに「より大幅な利下げ」要求 FO

ビジネス

中国、エヌビディアが独禁法違反と指摘 調査継続

ワールド

トルコ裁判所、最大野党党首巡る判断見送り 10月に
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 3
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人に共通する特徴とは?
  • 4
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く…
  • 5
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 8
    【動画あり】火星に古代生命が存在していた!? NAS…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story