コラム

日本人「核の番人」のパラドクス

2009年07月06日(月)16時35分

 国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長の後任人事がようやく決着した。当選者の出なかった3月の事務局長選挙に続く出直し選挙で当選したのは、日本の外交官である天野之弥(ゆきや)。必要とされる3分の2の得票をわずか1票上回って勝利した。

 長い間こう着状態が続いたのは、先進国と発展途上国の論争のためだ。途上国が支持した南アフリカのアブドル・ミンティは、核拡散防止より現存の核保有国の核兵器削減を優先しようとした。一方の天野は先進国の代表と見られていた。

 天野のイメージは、日本の核に対する矛盾した姿勢そのものだ。日本は唯一の被爆国として核問題の調停役を自認しているが、その唯一の被爆国は世界有数の核兵器保有国の「傘」で守られている(しかもその国は世界で唯一核兵器を使用した国である)。天野の選出の直前、元外務事務次官の村田良平が、アメリカの事前協議なしの核持込みを日本政府が認めた密約の存在を暴露したのは、なんとも皮肉なことだった。

 村田は1960年の日米安保条約改定の際に結ばれたとされる密約に関する「1枚の文書」が、歴代次官に引き継がれてきたと証言した。非核三原則があるにもかかわらず、アメリカの軍艦が日本に核を持ち込んでいることは公然の秘密だったが、次官がこのように告白したのは初めてのことだ(村田が発言した後、匿名の歴代次官も先月共同通信に対して証言している)。

■非核3原則を非核2・5原則に

にもかかわらず、「核の矛盾」にふたをするかのように河村建夫官房長官は密約の存在を否定した。河村の否定発言に対して、河野太郎衆院外務委員長は政府の立場が証拠(そして常識)に矛盾していていると批判。今後、委員会で事実関係の調査を行うことを示唆した。

 2国間の核問題を前進させるためには、過去の問題を明らかにすることが必要だ。日本政府は密約を公式なものとし、非核3原則を2・5原則に改定してはどうかという意見もある。その結果、核の傘は強化されるかもしれない(日本のエリート層のアメリカ不信が続くかもしれないが)。

 天野がIAEA事務局長に選出されたため、その在任期間中に日本が核に対する姿勢を大きく変えることはないだろう。世界の核不拡散を推進するIAEAの顔役に日本人が選ばれたため、日本の核保有へ向けた議論は難しくなったように思える。だがその一方で、中国と北朝鮮は核兵器を増強している。

 天野の当選は日本と核兵器の分裂病的関係を解決しない。世界の良心となることを熱望しながら、現実の防衛においては核抑止力に依存する矛盾は広がるかもしれない。

[日本時間2009年07月03日(金)14時38分更新]

プロフィール

トバイアス・ハリス

日本政治・東アジア研究者。06年〜07年まで民主党の浅尾慶一郎参院議員の私設秘書を務め、現在マサチューセッツ工科大学博士課程。日本政治や日米関係を中心に、ブログObserving Japanを執筆。ウォールストリート・ジャーナル紙(アジア版)やファー・イースタン・エコノミック・レビュー誌にも寄稿する気鋭の日本政治ウォッチャー。

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