コラム

ホットクと路地裏とかけそばの大久保物語

2011年07月20日(水)12時59分

今週のコラムニスト:クォン・ヨンソク

〔7月13日号掲載〕

 元気をもらいたいとき、僕の足は新宿・大久保の街に向かう。韓国料理やコリアンな雰囲気が恋しいからだけではない。僕にとって大久保は、幸せな幼少期を過ごした心の故郷でもある。

 現在のコリアンタウンの面影などまったくなかった80年代初頭の大久保。小学生だった僕は、サッカー仲間と線路脇の立食いそば屋に行くのが最高の楽しみだった。当時160円のかけそば。店のおじいちゃんは常連客の僕らを孫のようにかわいがってくれ、ワカメをおまけしてくれた。感傷抜きで、僕はこれまであのときよりおいしいそばに出合ったことはない。

 今となってはあのそば屋も姿を消し、駐車場に変わった。だが今年5月、約30年ぶりに大久保近辺に引っ越した僕は、その場所を通るたびに、あの優しいおじいちゃんと「路地裏の少年」に出会うような不思議な感覚を覚えている。

 近年、大久保は最近やって来た韓国人たちが中心となる街に変貌した。店と歩道の区別がない店構え、充満した焼き肉とキムチの匂い、大音量のK‐POP、活気のある呼び込み、狭い路地をわが物顔で走るセダン、ラブホテルのネオンに売人のような怪しげな人々......。そこには、バブル後の東京から消えていった雑然とした都会のにおいや緊張感、生きている実感とエネルギーがあふれる、ある意味で韓国的な「路地」の世界があった。

 だが最近はさらなる変化が起きている。今や大久保の路地裏は、幅広い年代の日本人女性でごった返す「観光地」と化している。東京だけでなく遠方から「韓流」を求めて来る人も多い。

 目を疑ったのは、渋谷や原宿にいそうな今どきの女の子たちが韓国の屋台おやつの定番、ホットク(韓国式の発音ならホトック)を買いに列をつくっていることだ。「行列のできるホットク店」なんて、韓国人が聞いたら爆笑するだろう。

 しかも、韓国ではホットクは秋から冬の定番メニュー。暑い夏の日に食べてくれるなんて、韓国のホットク店もさぞ羨ましがることだろう。昨年3月に僕が大久保にホットクを食べに行ったときには、そんなことはなかった。バイトのお兄ちゃんが1つおまけしてくれたくらいだ。1年でこうも変わるとはK‐POP、チャン・グンソクの力、恐るべしだ。

 サムギョプサル店も行列は当たり前。店内の雰囲気も、とってもハイテンションだ。お互いに一歩踏み出せない男女や、会話が途切れがちな家族にはぜひお勧めしたい。周りの雰囲気に後押しされて、本音で語れるようになるかもしれない。

■アイドルグッズの一番人気は?

 大久保の定番なら、韓流スターのグッズ店も外すわけにはいかない。かみさんの白い目をよそに、僕は少女時代のファンである息子と(社会見学のため)店に入った。個人的に、少女時代や東方神起はアイドルというより立派なアーティストだと思うので、並べられたグッズには違和感を覚える。だが、店で一番売れる商品が彼らの写真をプリントした「抱き枕」だというのは即納得できた。

 通りには「がんばれ日本」という横断幕もあった。6月には大久保公園で「東日本大震災復興支援 韓日友好チャリティー広場」も開かれた。韓流や韓国料理が一過性のブームを超えて日本に定着した感がある今、行列ができるようになった店には、日本の元気を取り戻すためにも価格の見直しを求めたいものだ。

 こうした店にも、30年の時を経て今なお僕の心を温かくしてくれるあのときの「一杯のかけそば」のような、ホットクやサムギョプサルを提供してほしい。最近の韓国にありがちな「一発当てて儲けよう」という精神ではなく、人間の情と絆に触れられる心温まる街になってほしい。これこそ、韓流を求めて大久保にやって来る日本の「巡礼者」たちが、最も欲しているものだと思うのだが。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

北・東欧8カ国首脳、EUの防衛強化訴え ロシアは「

ビジネス

米ワーナー、パラマウントの買収案拒否の公算 17日

ビジネス

FRBの追加利下げ、インフレリスク高める可能性=ア

ワールド

トランプ氏支持率39%に低下、経済政策への不満広が
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を変えた校長は「教員免許なし」県庁職員
  • 4
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 5
    「住民が消えた...」LA国際空港に隠された「幽霊都市…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    【人手不足の真相】データが示す「女性・高齢者の労…
  • 8
    FRBパウエル議長が格差拡大に警鐘..米国で鮮明になる…
  • 9
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 10
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 8
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 9
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 10
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story