コラム

シリアとイラクのアナロジー

2013年09月03日(火)20時01分

 米軍によるシリア軍事攻撃のカウントダウンが始まった。

 8月21日にアサド政権側が化学兵器を使った証拠がある、として、オバマ政権はシリアへの軍事攻撃を行う用意がある、と主張した。とはいえ、イギリスでは議会が対シリア攻撃を否決し、オバマ自身も議会に諮らざるを得ない状況。国際世論も消極的だ。

 その背景に、イラク戦争での失敗が指摘される。大量破壊兵器の恐怖を煽ったあげくに強行されたイラク戦争では、米英など外国兵4800人以上の死者を出す泥沼が、わずか二年前まで続いていたからだ。アフガニスタンではまだ進行中で、2010年に700人以上の外国兵の死を経験して以降も、毎年400~500人は命を落としている。アフガニスタン攻撃とイラク戦争は、国際社会に「中東での軍事介入は割にあわない」という教訓を残したはずだ。

 イラク戦争とのアナロジーは、探せばいろいろと見つかる。米政府がいつも強弁する「独裁政権は大量破壊兵器を使う」という主張の胡散臭さに加えて、「現地の市民に対する人道的配慮」が口先だけな点も似ている。独裁政権を倒すのに、空爆などの軍事攻撃を行っても、結局は市民生活を破壊するだけだ、というのは、イラク戦争のみならず、それ以前の散発的な米軍の対イラク空爆でも証明済みだろう。

 その意味では、今回のシリア空爆(予定)は、1998年クリントン政権が行った、数日間の限定的なイラク空爆のほうが似ているかもしれない。周辺にせっつかれて「独裁政権に鉄槌を下す」ことを決心したものの、とても大規模な戦争を実行する用意も決意もなく、「敵の軍事施設を叩くだけ」として、アリバイ作り的な空爆を決断。だが2月に攻撃を予定しながら当時のアナン国連事務総長の仲介で止められて、諦めきれずに同年末に実行した、「砂漠の狐」という作戦だ。

 600回以上も爆撃し、イラクの指揮系統や軍事拠点を攻撃した、というのが米軍側の発表だったが、重要な軍事、政治施設は市民生活の真ん中にあるのがこうした政権の政策なので、「軍施設」を攻撃したはずが公共施設や住居を破壊するハメになる(少なくともイラクはそのように宣伝した)。モニカ・ルインスキー事件と重なっていたことも空爆の片手間感を高め、クリントン政権はただ、評判を落としただけだった。

 あまり指摘されないが実は重要な類似点に、国外に亡命した人たちと国内に残っている市民の認識ギャップ、という問題がある。イラクのフセイン政権打倒に米軍を引っ張り出そう、と最初に考えたのは、米英に亡命中のイラク人知識人たちだった。米軍が出ていけば花束を持って歓迎されるから、と吹き込んだのは、フセイン政権を倒して新政権の座に着きたかった在外の反体制派たちだった。米軍は、イラクに入って初めて、その言葉がウソだったことに、気が付く。フセイン政権が倒れたことにはイラク人の多くが歓喜したのだが、それは米政府を歓迎することでは、全くなかった。

 シリアへの軍事攻撃(予定)にイギリスが参加しないとしたこと、オバマが議会に諮ると言ったことに対して、幻滅を隠せないシリア人がいる。在英シリア人作家のロビン・カッサーブは「(イラク戦争のせいで)ジェノサイドを遅らせるための、シンボリックな意味での空爆すらできなくなるとは!」と嘆き、アメリカのヒューストンでは100人ほどのシリア系アメリカ人がオバマ支持のデモを繰り広げる。

 世界中で「戦争反対」の声が沸き起こるなかで、「アメリカは行動せよ」と軍事行動を支持するデモを行っているのが攻撃される国出身の人たちだというのは、皮肉なことだ。遠く離れた故郷で起きていることに胸を痛めて、欧米在住の移民二世、三世が国内在住の人々の何倍も、政権に対する怒りを募らせる。彼らは、欧米社会に共感を得やすい言葉、ロジックで自国の悲惨を訴え、自分たちでどうにもならない運命を、超大国に変えてほしいと思っている。

 それは彼らの純粋な思いからくるものなのだろうが、それを利用して国際社会の数多なる主体が介入したときに、最終的にどのような結果をもたらすのか、誰が見通しているのか。アメリカをイラク戦争に引きずり込んだのは、カナアーン・マッキーヤという在米イラク人作家の「沈黙と残酷」という感動的な本だったが、戦後イラクに入ったマッキーヤは、現実を目にして茫然とし、「イラク戦争は間違いだった」と悔恨した。

 国を離れてアサドの暴虐を訴えるシリア人の声は、か弱い。だが蝶の羽ばたきが現地に届いたときに戦争になるのは、痛ましい。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル下落、9月利下げ観測維持 米ロ首

ビジネス

米国株式市場=まちまち、ダウ一時最高値 ユナイテッ

ワールド

プーチン氏、米エクソン含む外国勢の「サハリン1」権

ワールド

カナダ首相、9月にメキシコ訪問 関税巡り関係強化へ
MAGAZINE
特集:Newsweek Exclusive 昭和100年
特集:Newsweek Exclusive 昭和100年
2025年8月12日/2025年8月19日号(8/ 5発売)

現代日本に息づく戦争と復興と繁栄の時代を、ニューズウィークはこう伝えた

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 3
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コロラド州で報告相次ぐ...衝撃的な写真の正体
  • 4
    債務者救済かモラルハザードか 韓国50兆ウォン債務…
  • 5
    「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京会場) …
  • 6
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 7
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化して…
  • 8
    【クイズ】次のうち、「軍事力ランキング」で世界ト…
  • 9
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 10
    「触ったらどうなるか...」列車をストップさせ、乗客…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 3
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた「復讐の技術」とは
  • 4
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化して…
  • 5
    これぞ「天才の発想」...スーツケース片手に長い階段…
  • 6
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 7
    「何これ...」歯医者のX線写真で「鼻」に写り込んだ…
  • 8
    「触ったらどうなるか...」列車をストップさせ、乗客…
  • 9
    産油国イラクで、農家が太陽光発電パネルを続々導入…
  • 10
    輸入医薬品に250%関税――狙いは薬価「引き下げ」と中…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失…
  • 6
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
  • 10
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story