コラム

アラブ世界のメロドラマ事情

2013年07月26日(金)13時02分

 今月初めにロンドンでアラブ人一家とテレビを見ていたとき(エジプトでクーデターが起きていたので)、その家のご夫人が言った。「最近は、アラブ世界向けの衛星放送でもトルコのテレビドラマが大人気なのよねえ。面白いんだけど、恋愛ありお酒ありで、いいのかしら」。

 一家は英国在住歴の長い、自他ともに認める徹底した世俗主義者。その一家が「大丈夫なのかしら」というぐらいだから、よっぽど「反イスラーム的」なんだろうか――、などと思っていたら、案の定、最近宗教界からクレームが出た。イスラーム世界が断食月に入って一週間ほどした今月半ば、サウディアラビアのイスラーム宗教界の中核をなす高位ウラマー評議会の一員が、次のように述べたのだ。「ラマダーン(断食月)期間中にソープオペラ(いわゆる「昼メロ」)を見るのは、イスラーム法に反する!」

 断食という宗教的慣行の目的は、一か月間、日中の飲食を断つことで、貧富の差なく衣食足りないことの苦しさを共感するため、と言われる。贅を追い欲にまみれた生活を見直し、清らかな気持ちを取り戻す機会なのだ。そんな「聖なる月間」に色恋沙汰や飲酒シーンがふんだんに登場するようなメロドラマばかり見ているとは、なにごとか!というわけである。

 とはいえ、実生活での断食は、日中の断食が明けた後の「打ち上げ」的娯楽を楽しむのが常。特に、シリアやエジプトなど、日常の政治的混乱が続く国では、庶民はドラマの世界に逃げ出し、気晴らしをしたくなるのも道理だろう。エジプトではラマダーン期間中の特別連続ドラマ50本のうち、30本がメロドラマだという。

 そこでは冒頭のご夫人の言の通り、トルコドラマが流行りなのだが、その原因もまた、エジプト、シリアの混乱にある。アラブ世界でメディア産業といえばこの二国が最先端を行くが、その両国が「アラブの春」以来、テレビ番組制作どころではない。供給元がなくなった結果、アラブの映像メディア界は、トルコドラマを輸入しアラビア語に吹き替える、という方法に頼ることになったのだ。
 
 現在のトルコは、イスラーム政党が政権を担っているが、世俗主義を国是とする。なのでドラマ作りに宗教的制約はさほどなく、欧米のヒット番組をコピー、リメイクしたものも多い。日本でもお馴染みの「クイズ・ミリオネア」は、その典型だ。これらのトルコ・リメイク番組の多くが、アラビア語の吹き替えがついて、アラブ諸国に輸出されている。

そのようななかに、欧米版をリメイクしたソープオペラも含まれる。なかでもアラブ世界で放映されて大ヒットしたのが、日本でも有名な「デスペラードな妻たち」だ(http://www.kanald.com.tr/content/img/poster/full_UEK.jpg。トルコ語の番組タイトルが書かれている)。

 また、アラブ世界で大ヒットしたトルコのオリジナルドラマには、「禁断の恋(Aşk-ı Memnu)」http://www.askimemnu.tv/ とか、「銀(Gümüş; アラビア語に吹き替えられたときには「光nour」との題が付けられた)」がある。前述のご夫人が指摘した「色恋沙汰に飲酒シーン」というのは「銀」のことだ。 中東・北アフリカ地域で8500万人(同地域の全人口のうち2割以上だ)がこの番組を見ていたが、うち5000万人が女性だという。

 問題は、こうしたトルコドラマを買って放映している中心的なテレビ局が、サウディ資本の汎アラブ衛星放送局、MBCだということだ。そこで前述の、サウディ宗教界のクレームにつながる。イスラームの盟主と自認するサウディが金を出している番組で、こんな非イスラーム的なドラマが横行しているとは!

 一方で気になるのが、MBCのCEO、ワリード・ビン・タラール王子だ。サウディ王族の一員であるばかりでなく、父方の祖父がサウディ初代国王のアブドゥルアジーズ、母方の祖父は初代レバノン大統領という、超エリート。今年の米「フォーブス」誌が世界の長者番付26位に挙げた大富豪である。

 メディアを牛耳る財閥という顔と、イスラームの盟主という顔――。こうした多面性は、サウディアラビアのなかでどのように収拾がつけられているのだろうか。あるいは、収拾がつかないことが、今の中東の複雑さを反映しているのだろうか。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

村田製の今期4割の営業増益予想、電池事業で前年に5

ビジネス

米資産運用会社の銀行投資巡る監督強化案、当局が採決

ビジネス

第1四半期の中国金消費、前年比5.94%増 安全資

ビジネス

野村HD、1―3月期純利益は前年比7.7倍 全部門
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 5

    未婚中高年男性の死亡率は、既婚男性の2.8倍も高い

  • 6

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 7

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 10

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 7

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこ…

  • 8

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story