コラム

ガザを支援するドイツのユダヤ人

2010年06月09日(水)20時25分

 イスラエル軍によるパレスチナ向け国際支援船の拿捕、攻撃が大問題になっている。

 1967年以来イスラエルに占領されてきたガザでは、イスラエルによる経済封鎖が続いている。この惨状を危惧して、国際的な人権団体がガザに支援船を送った。ところが、イスラエルは5月末以降、それらの船舶を公海上で拿捕、死者を出す行動に出、世界各地で批判が一斉に噴出した。

 なかでも6月5日に拿捕された支援船の船名は、実に象徴的である。「レイチェル・コリー」号という名は、2003年、パレスチナで命を落としたアメリカ人女性ボランティアの名をとったもの。占領地で次々にパレスチナ人の住居を情け容赦なくブルドーザーで潰すイスラエル軍の行動をとめようと、コリーさんはパレスチナの「盾」として働いていたが、結局イスラエルのブルドーザーに轢かれて命を失った。「欧米の人権団体がなんぼのもんじゃい」というイスラエルに対して、国際人権団体の、「押し潰せるもんならやってみろ」的な意気込み(?)が、船名に現れている。

 高揚する西欧諸国のイスラエル批判のなかで眼にとまったのが、ドイツのユダヤ教徒団体「中東の平和のためのユダヤ人の声」がガザ支援船を派遣しようとしている、という報道だ。その多くは旧ソ連出身のユダヤ人だが、彼らは「ユダヤ教徒の安寧の地」であるはずのイスラエルではなく、ナチスによるユダヤ人虐殺の記憶の残るドイツを移住先に選んだ。そのユダヤ人たちが、イスラエルの対パレスチナ政策を批判している!

 このようなドイツに住むユダヤ人の存在は、イスラエルにとって都合のよくないものだ。なぜなら「ナチスの虐殺などの迫害から逃れるためにはユダヤ人の国を建国するしかない」というロジックを前提にしてこそ、イスラエルが存在するからだ。なのに、かのホロコーストのあったドイツで、今ユダヤ教徒は迫害もされずにドイツ人として生活している! イスラエル以外でユダヤ教徒がハッピーなら、もともと住んでいたパレスチナ人を追い出してまで、わざわざイスラエルを建国しなくてもよかったんじゃないか、ということになる。

 おりしも、アメリカの名物ジャーナリスト、ヘレン・トーマス女史が「イスラエル人たちは移住前のドイツやポーランドに戻ればよい」と発言して顰蹙を買い、引退を余儀なくされた。だがこの発想は、一定の真理をついている。先住民から力で土地を奪って国を作るよりも、かつて迫害を受けたヨーロッパ社会でもユダヤ教徒として迫害を受けぬような生活を確保できれば、そのほうがよいではないか――。

 今ドイツにいるユダヤ人たちのイスラエル批判は、イスラエルの対パレスチナ政策に異議を唱えるだけではない。その存在自身が、イスラエルの国家理念に対するアンチテーゼとなっている。そうしたヨーロッパのユダヤ人によるイスラエル批判が国際社会で声高になったとき、「ユダヤ教徒の国」イスラエルはどうするのだろうか。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

ニュース速報

ビジネス

アングル:輝き失った人民元売り持ち、ヘッジファンド

ワールド

焦点:トランプ貿易戦争、米中西部に生む「勝ち組と負

ビジネス

アングル:指標に見るトルコ金融市場の「惨状」

ワールド

米国が対中追加関税発動させる確率60%=ゴールドマ

MAGAZINE

特集:中国シャープパワーの正体

2018-7・17号(7/10発売)

ハードパワーでもソフトパワーでもない「第3の影響力」 中国が駆使するシャープパワーの隆盛と限界

次号は7月18日(水)発売となります。

人気ランキング

  • 1

    金正恩の背後の足場に「死亡事故を予感」させる恐怖写真

  • 2

    「何か来るにゃ...」 大阪地震の瞬間の猫動画に海外が注目 アメリカでは19世紀から軍で研究も

  • 3

    タイ洞窟の少年たちの中には、無国籍だが5カ国語を話す子どももいた

  • 4

    オウム死刑で考えた──日本の「無宗教」の真実

  • 5

    トランプの仕掛けた貿易戦争、米国内に生まれる「勝…

  • 6

    インドネシア、首都の強盗摘発強化作戦 10日間で320…

  • 7

    移民がもたらす意外な経済的プラス効果

  • 8

    現代だからこそ! 5歳で迷子になった女性が13年経て…

  • 9

    金正恩「デート禁止令」に、北朝鮮大学生の不満が爆発

  • 10

    「売春島」三重県にあった日本最後の「桃源郷」はい…

  • 1

    「何か来るにゃ...」 大阪地震の瞬間の猫動画に海外が注目 アメリカでは19世紀から軍で研究も

  • 2

    美しいビーチに半裸の美女、「中国のハワイ」にまだ足りないもの

  • 3

    金正恩の背後の足場に「死亡事故を予感」させる恐怖写真

  • 4

    最も安全で平和な国でアイスランドが11連覇 一方女…

  • 5

    金正恩「デート禁止令」に、北朝鮮大学生の不満が爆発

  • 6

    世界が激怒する中国「犬肉祭り」の残酷さ

  • 7

    タイ洞窟の少年たちの中には、無国籍だが5カ国語を話…

  • 8

    オウム死刑で考えた──日本の「無宗教」の真実

  • 9

    世界の海洋プラスチック廃棄物の9割は、わずか10の河…

  • 10

    【悲報】感電して牛が死に、飼い主が死に、助けよう…

  • 1

    頭は鳥、体は魚!? 釣り針にかかった奇妙な生き物の正体は...

  • 2

    史上最悪の「スーパー淋病」にイギリス人男性が初感染、東南アジアで

  • 3

    美しいビーチに半裸の美女、「中国のハワイ」にまだ足りないもの

  • 4

    「何か来るにゃ...」 大阪地震の瞬間の猫動画に海外…

  • 5

    噴火がつづくハワイ・キラウエア火山──空から宝石が…

  • 6

    悪臭で飛行機を降ろされた男性、体組織が壊死する感…

  • 7

    金正恩の「美少女調達」システムに北朝鮮国民が怒り

  • 8

    世界が激怒する中国「犬肉祭り」の残酷さ

  • 9

    「魚や貝を通じてプラスチックを食べている」という…

  • 10

    金正恩の背後の足場に「死亡事故を予感」させる恐怖…

資産運用特集 グローバル人材を目指す Newsweek 日本版を読みながらグローバルトレンドを学ぶ
日本再発見 シーズン2
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版

特別編集 ジュラシックパークシリーズ完全ガイド

絶賛発売中!