コラム

「財政タカ派」の新首相の本当の課題は増税ではない

2011年09月01日(木)18時33分

 野田佳彦新首相が誕生した。彼は前財務相であり、民主党の代表選挙ではただひとり増税を明言して「財務省の組織内候補」とも揶揄された。彼は「財政タカ派」として知られ、6月にまとまった「社会保障と税の一体改革」を実現することが「最大の使命」だと強調している。しかし一体改革には与党内の抵抗が強く、閣議決定さえできなかった。今後の与野党協議を経て法案化する道のりも不透明だ。

 最大の政治的障害は、消費税の増税である。民主党の代表選挙でも、野田氏以外の候補者は増税に慎重論を唱え、「経済成長が先だ」とか「不況で増税すると景気が悪くなる」などと主張した。一体改革でも「2015年度」としていた増税の時期も党内調整が難航して、最終案では「2010年代半ば」とぼかされた。与野党の議論も、増税の是非に集中している。

 しかし、これは間違った争点である。一体改革の成案で打ち出された社会保障の拡充には、効率化しても約2.7兆円の財源が必要だ。この他に基礎年金の国庫負担を1/2に維持するために2.5兆円の財源が必要で、増税がなければ社会保障の拡充も不可能だ。今の社会保障の水準を維持するだけでも毎年1兆円ずつ歳出が増えるので、5%程度の増税では足りない。

 ところが与野党ともに「増税反対」の声は強いが、歳出削減の具体策はない。民主党は2009年の総選挙で「無駄の削減」によって増税しなくても財政は再建できるという夢物語を語ったが、事業仕分けで削減できたのは1兆円にも満たない。誰の目にも無駄な歳出というのはほとんどなく、歳出には必ずサービスがともなっているのだから、歳出を削減するにはサービスを削減するしかないのだ。

 中でも最大の歳出は、社会保障である。特に年金特別会計は500兆円以上の「隠れ借金」を抱え、実質的に破綻している。厚生労働省は「年金会計は破綻しない」という建て前をとっているが、これは同語反復である。今後、急速に増加する年金支給額をまかなうためには、年金保険料をどんどん引き上げ、足りない分は一般会計から補填すればいい。歳出が増えたら、際限なく増税すれば財政の帳尻は合う。

 問題は、そういう負担増が政治的に可能なのかということだ。今のまま歳出が増えてゆくと、最終的には国民負担率は50%を超え、所得の半分以上が税と社会保険料で取られることになる。消費税率は30%以上にする必要がある。しかも20年ぐらい後にそういう大増税がくるとき、受益者である高齢者の多くは世を去っており、現役世代は負担だけが増える。

 つまり社会保障の本質的な問題は、世代間格差なのだ。しかも日本は、この格差が世界一大きい。『経済財政白書』の推定でも、60歳以上の高齢者の生涯の受益額は負担額より5700万円多い受益超過なのに対して、今年生まれた子供は逆に4200万円の負担超過と、世代間格差は1人1億円近い。

 だから増税か否かというのは無意味な争点であり、増税か社会保障の削減かを真剣に論じなければならないのだ。しかし政治家も官僚も、社会保障にはまったく手をつけようとしない。これは政治的には正しい戦術である。社会保障を削減したら、最大の票田である高齢者の支持を失うからだ。彼らを情報源とするマスコミも、この問題にはふれないで増税をめぐる与野党の駆け引きばかり報じている。

 しかし、このまま問題を先送りしていると財政が破綻し、いま欧州で起きているような高金利とインフレと大量失業が起こるおそれがある。最大の問題は(自民党も必要性を認めている)増税ではなく、高齢者に迎合して拡大を続ける社会保障なのだ。これをタブーにしている限り、消費税を10%にしたぐらいではプライマリーバランス(基礎的財政収支)の赤字は縮まらず、財政危機は深刻化する一方である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

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