コラム

虚々実々、皿と檻のおはなし

2013年01月31日(木)00時48分

 お皿の中が綺麗になくなった。6人で大皿6枚分たっぷり並んでいた肉、そして数皿のきのこや野菜を流行りの1人前サイズの小鍋が1人ひとりの目の前に並ぶ火鍋屋で食べ切った。香港から遊びに来た友人ともうすぐ日本に帰ってしまう友人を囲んで新旧の友人が集まったときのことだった。

「うわー食べた食べた」と言いながら、1人がスマホを取り出した。「光盤行動だ。写真を『微博』にアップしとこ」とテーブルいっぱいに置かれた、空っぽの皿にスマホを向けた。「おう、そうだそうだ」とまたひとり二人とスマホで写真を撮り始めた。

「光」=空っぽ、「盤」=皿、つまり「きれいに平らげちゃった」行動。

 彼らと同じように中国ネット空間を「日常生活拠点」としているわたしは、そこで初めて聞いた「光盤行動」という言葉に、ちょっと慌てた。「え、流行ってんの?」と尋ねたら、言い出しっぺが「うん」と答えてニヤリと笑った。

 その「ニヤリ」がちょっと気になったので家に帰ってから調べてみた。「光盤行動」...ニュースの検索結果のトップには、中国国営新華社通信発のものばかりずらりと並んだ。それもそのはず、これは習近平中国共産党総書記が2月10日の旧正月「春節」を前に、この派手な飲み食いシーズンに、党内に向けて倹約に努め、享楽主義を戒めるようにという指示を出したことを受けて、人民日報や新華社が始めたキャンペーンらしい。

 新華社の「光盤行動」称賛記事には、どこかのレストランでウェイター・ウェイトレスが、「今日からわたしも『光盤』族!」「食べ残しにNO!」などと大きく書かれた大きな皿を客に見えるように抱えて並んでいる写真が掲載されている。その彼らの制服を見れば、そこがかなりの高級レストランであり、それだけで「いかにも」な政治的キャンペーンであることがすぐに分かる。そして、それに応えるように各地で「光盤」の成果を謳う記事がずらりと並んでいた。

 もちろん、倹約を実行する自体は悪いことではない。だが、それらのニュースのうちの1つは、陳光標という最近中国で「慈善事業家」と呼ばれる著名な企業家が自社の職員40人を引き連れ、どこかのレストランの宴会で食べ残された料理を囲んで食べているという内容だった。大富豪の1人である陳氏がある宴会の場を去りかけてテーブルに忘れた携帯電話を取りに戻った時、自分たちが食べ残した料理を囲んで食べているウェイター、ウェイトレスを目撃して「感動した」のがきっかけだという。

 この陳氏は日頃から「慈善活動」と称してはいるが、実は周りが眉をひそめるほどの「やり過ぎ」が話題に上り有名になった人だ。今回の「光盤」というより「残飯」行動ではご本人も職員たちと一緒に食べたらしいものの、さすがに「他人の残飯を食べることを奨励するのは衛生上いかがなものか」と轟々の非難を浴びたようだ。このような陳氏の行動を、新華社の記事が「残り物は不味い」「残り物は栄養価が低い」などこれまたズレた理由で批判していたのもなんだかおかしかった。

 ともかくも習が政府職員や党員に「倹約」を呼びかけたこと自体は、一般に好意的に受け入れられているようだ。だがそれを新華社のような政府系メディアが「倹約は美である」とばかりにキャンペーン化して大々的に報道したあげく、各地でそれに呼応して「光盤行動」の成果を競うかのような報道が出始めたことから、人々は距離を置いて眺めている。冒頭の友人たちも自前で割り勘にした後に、「光盤行動とやら」に悪乗りしただけだ。習の言葉は「党内の節約を厳格に実施し、公費の浪費を途絶し、社会全体の浪費ムード化に反対」のはずだったからだ。

 それが「倹約は美徳である」となって庶民たちの飲み食いにまで拡大解釈されていくことを人々も警戒しており、あくまでもそれは公金で派手に飲み食いしている党員や政府職員がまず改めるべき習慣だとみなされている。だからこそ、「光盤行動」キャンペーンは庶民の発言場であるマイクロブログ微博できれいに「咀嚼」された。

 昨今、政府系メディアがやっきになって流す政治指導者の言葉や権威ある機関の言葉は、ニュースメディアからまず微博に流れ、噛み砕かれ消化される。「光盤活動」も微博に流れた後、人々はそれを受け取り、咀嚼されて小粒にされた。つまり社会的な話題とされてはいるものの、皆が真剣にそれを語り合って盛り上がっていく様子はなかった。これまでに微博で支持を受けて雪だるま式に大きな声となったキャンペーンに比べ、自分たちの問題ではない「光盤行動」は民間ではそれほどの関心を引き起こさなかった。

 一方でその微博で注目されたのが、先週開かれた党中央紀律委員会での習のスピーチだ。中央紀律委員会とは党員の紀律管理・監督を担当する機関だ。11月の就任演説で汚職腐敗取り締まりに対して強い意志を示した習近平は、この中央紀律委員会の活動を協力にバックアップしていくと見られている。だからこそその場で何が語られるのか、それは今後の政治の方針にも影響するはずだ。

 習はそこで政治腐敗を厳しく取り締まることを再度宣言し、「『トラ』でも『ハエ』でも一網打尽にし、指導層幹部の紀律違反、違法を調査し、庶民のそばで起こっている不正と腐敗を解決する......権力行使に対する制約と監督を強化し、権力を制度の『檻』に入れ、腐敗できない懲罰体制、腐敗不能な予防体制、腐敗が難しい保障体制を作る」と語った。

 相変わらず習のスピーチは平易な言葉が多用されている。複数のメディア関係者が、「習のスピーチライター担当グループは胡錦濤のスピーチライター担当者たちよりもずっと優秀だ」と絶賛するのも聞いた(だが、その内容に対して彼らが100%同意しているわけではなく、あくまでも言葉の運用という意味らしいが)。この習のスピーチからも微博で「トラとハエ」という形容が取り沙汰された。さらに人々の間で話題になったのが、「権力を制度の檻に入れる」という言葉だった。なんとこれは、実はある中国人編集者が2002年に当時のアメリカ大統領、ブッシュ氏を騙って書いた「代筆スピーチ原稿」を参照したものらしい、というのだ。
 
 それは、「ブッシュ大統領がアメリカ建国記念日に中国ネットユーザー会議に出席した際のスピーチ原稿(代筆)」と題され、ある雑誌の編集者氏がおちゃらけでネットで発表したものだったらしい。だいたいアメリカの建国記念日に大統領が中国のネットユーザー会議なんかに出席するわけもなく、ちょっと常識的に考えれば「代筆」と明記されているその書き込みが疑わしいことがわかるはずだ。だが逆に内情を知る人たち、それもメディア仲間が軽い気持ちで流し、当時これを読んだ人の中にこの「ブッシュ大統領スピーチ代筆原稿」を本物と思い込んだ人が少なからずいたらしい。その「スピーチ」はこう始まっている。

「人類の長い歴史において最も貴重なものは目を見張るようなテクノロジーではなく、著名作家たちの大量の著作ではなく、政客たちのやたらに派手なスピーチでもなく、統治者を手なづけること、そして彼らを檻に閉じ込めるという夢を実現させたことです。手なづけただけではなく、彼らを閉じ込めたことで、彼らは人々に害をもたらすことができなくなったのです。そして力で弱者をいじめることができなくなり、無力な老人や住むところを失い、流浪する物乞いに暖かい家が与えられるようになった。わたしはここで檻の中から皆さんに向けて講演します」...

 このあとに編集者氏が頭のなかで練り上げ、中米関係にも触れる長いスピーチが続くのだが、なんとこのおちゃらけスピーチ原稿はその後、本物のブッシュ大統領のものだと信じた人によって、一部地域の小中高校の試験でも使用されたらしい。全文掲載して、「ここで言われる『檻』とは何を指すでしょう?」「アメリカはどうやって大統領を『檻の中に閉じ込める夢』を実現させたのでしょう?」という設問をつくった試験まであったという。それを伝える資料では試験の正解が何だったのかは記されていなかったのだが、その設問者はどんなふうにこれを読み解いたのだろうか。

 だが、最初は当時のこのおちゃらけスピーチ原稿の舞台裏を知る人たちの間で今回の習スピーチの「権力を制度の檻に閉じ込める」という表現が大受けしたが、だんだんそこからまた真剣に、ならば習の「檻」(中国語では「籠子」)とはいったい何なのかという具体的な議論が始まった。

 広州で発行されている新聞「南方都市報」では「権力を檻にいれ、権利を檻の外へ出せ」という社説を掲載し、「監督の権利を開放し、同時にトップによる絶え間ない圧力があって初めて、世界中で解決の難しさが認められている腐敗の問題へと実質的に切り込むことができる」と論じた。一方、上海の「第一財経日報」紙は習近平の11月の汚職取り締まり強化宣言以来、さまざまな形で噴き出してきた告発が必ずしも法の執行に至っておらず、「虎頭蛇尾」(竜頭蛇尾)あるいは「尻尾切れ」になっていると指摘し、司法システムやメディア、そして一般市民の監督力行使を強化するための制度制定を求めた。また山東省の夕刊紙「斉魯晩報」は「国家の事務に対する市民の知る権利、参加する権利、意見表明の権利、監督権などがメディアを通じて行使される必要がある」と呼びかけた。

 さらに「ブッシュ大統領おちゃらけスピーチ原稿(代筆)」をしたためた当の編集者氏も、「カギは檻がどれだけ強固に作られているか、だ。檻が強固でなければ、どんなに見事な比喩を使ってもなんの役にも立たないよ」と、微博でつぶやいた。

 政府系メディアである北京市の共産党委員会機関紙「中国青年報」も、これまで汚職取り締まりという話を度々聞かされてきた人たちは懐疑的な態度を採っているとし、「庶民だけではなく(対象となる)政府職員もまた様子見中、特に汚職官吏らも様子見状態。その経験から彼らはそれが一瞬の風なのか、それとも長期的な、制度的な取り締まりとなるのかを観察している......」と述べている。

「『檻』自体が権力によって作られるものなのだから、そこに閉じ込めるかどうかなんてことには意味は無い」という意見に対して、浙江省の「瀟湘晨報」紙は「檻は人民によって作られるものであるべきで、(最高議決機関の)全国人民代表大会とその常務委員会を通じてきちんとした法律制度が制定されるべき。檻が意味するのは法律であり、紀律チェック機関の紀律や規約制度であってはならない......結局は人治か法治かという問題だ」と結論づけている。

「結局は法治の問題」......ここでまた議論は前回のこのコラムで書いたように、「憲政」「憲法」問題へと戻っていくかのようだ。つまり政府が、あるいは共産党がどんなに「憲政」や「憲法」の話題を避けようとしても、「権力を檻に閉じ込める」には「法律しかない」という意識は、もうすでに中国社会の中でかなりの範囲で共有されているといえるようだ。

 ならばやっぱり皿を空っぽにというキャンペーンの先には、「檻」をいっぱいにする汚職取り締まりの未来が待っているのか。それともやっぱりお皿は盛りだくさんのまま、檻も空っぽのままの日々が続くのか。ニセの米大統領スピーチ原稿から生まれたひょんな形容詞が今後、習近平の中国でどう生かされていくのだろうか。虚々実々ありすぎて、まだまったく先が読めないが......。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

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