コラム

事故現場からの生中継

2011年07月30日(土)07時00分

 今一番注目されている高速鉄道事故について、わたしはなんら一次情報を手に入れることができる立場にはない。中国ではジャーナリストには「記者証」所持が義務付けられており、外国メディアも例外ではない。警察が現場を仕切る事件、事故の現場取材など、記者証をもたないフリーランスにはまったく不可能な話なのだ。

 だからわたしも、この事件に高い関心を抱いていた人たちと同じように、既存のメディアからの情報によって事態を判断するしかなかった。しかし、わたしのこの「既存のメディア」にはインターネットがかなりの割合を占めている。

 中国ではインターネットは「一庶民が公に向けて発言できる場」として大きく利用されているのは周知の通りだが、特にマイクロブログと呼ばれるツールがその情報発信力を爆発的に広げている。日本ではマイクロブログと言えばツイッターだが、中国ではそのツイッターへのアクセスがブロックされており、その一方で「微博」(微=マイクロ、博=ブログ)と呼ばれる、ツイッターそっくりの国産ツールがいくつかあり、合計約2億人のユーザーを集めている。なお、この「微博」を「中国版ツイッター」と呼ぶ向きもあるが、「微博」とツイッターは相互乗り入れはまったくできず、無関係である。一方で実際に国内からアクセスブロックを乗り越えたり、海外から中国語でツイッターを利用している人も多いので、この呼び方はやはり混乱を呼ぶ。

 このツイッターを含むマイクロブログサービスを「公に向けて発言できる場」と見なしているのは庶民だけではない。今やプロの中国人ジャーナリストやメディア本体も、ウェブサイトやブログよりもすぐに手にした情報を発信できるメディアとして大いに活用しているのである。

 今回の鉄道事故でも「微博」に発生直後から事故車に乗り合わせた乗客や遺族のつぶやきが記録されている。そして現地に赴いたジャーナリストたちの多くも目にしたもの聞いたものを次々に「微博」を通じて発信した。我々が目にした、脱線して橋梁にぶら下がっていた車体が地上に落される様子、そして穴を掘ってD301号の運転席を埋める様子なども、すべて現場にいたジャーナリストや遠巻きに見ていた野次馬、あるいは何らかの形で現場の作業に関わっていたと思われる人たちによって、マイクロブログや動画サイトを通じてほぼ生中継でもたらされたものである。

 中国におけるネットとメディアの関係はこのように大きく変化している。所属媒体を持つ記者たちが自分のメディアに現場で見聞きした重要情報の一部を、記事を書く前からマイクロブログで流すという手法は日本で考えられない。しかし、中国ではそのメディア本体も一部例外はあるものの多くの場合、発売とほぼ同時に掲載記事の概要をマイクロブログに流し、そこに記載されたリンク先の公式ブログやウェブサイトに飛べばほとんど無料で全文読むことができる。このようなサイクルによって、今回の鉄道事故においても北京にいるわたしがほぼ同時中継のように現場で何が起こっているかを知ることができたのである。

 中国メディアがこのような「ネタ漏れ」に近い方法を取るのにはいくつかの理由がある。

 まず、国土が広く、地方紙や地方テレビ局が日本に比べて格段に多いこと。これまで発行・配信が地元に限られていたものが、ネットに情報を流すことで簡単に「全国区」になれた。特ダネや話題の情報を全国的に認知してもらうことができれば、スポンサーも引き寄せることができる。彼らにとってネットへの情報アップには損はない。

 次に、中国の伝統的なメディアコンテンツ規制により、素早く、当局のフィルターが掛かっていない情報を求める人たちがネットに集まっている。その一方で、4億人を超えたネット利用者に対して、国民の半分以上はまだ紙やテレビといった伝統的な媒体で情報を得ている。逆に言えば、ネット上の「尖った読者」を無料記事でつかみ、知名度を高めつつ、一方の伝統的な読者に買って読んでもらうという収益パターンが可能となる。さらにネット読者の信頼をつかめば当然広告も増えるし、彼らがお金を払って買ってくれるかも、という利点もある。

 そして、中国ではメディアがある種、まだ「読者の称賛」という「栄誉」に守られて生き残れる社会だというのも理由だろう。情報社会でネットを操る層には、高い学歴を持つ社会的エリートとされる人が圧倒的に多い。彼らに認められ、称賛されることでメディアは社会的に生き残るための「栄誉」を手にでき、また彼らは今中国社会で一番消費に敏感な層でもあるため、広告収入など商業的にも生き残りやすくなることができる。

 その一方で、当局の指示によって報道記事やマイクロブログの書き込みが削除されることももちろんある。しかし、既存の紙媒体ならば「発行停止」、テレビ番組ならば「全面差し替え」となるが、ネットの「削除」はポイント部分だけを消すことで作業は終わる。発行停止や差し替えは彼らの取材内容は誰の目にも触れずに消え去るが、ネット記事やマイクロブログへの書き込みはそれが人目に触れて初めて「削除」される。つまり、それが出現して削除されるまでの1分1秒の間に、必ず誰かの目に触れるのである。そしてそれが削除されるほどセンシティブな情報であればあるほど、それを目にした人々に記憶され、あるいはキャッシュに残され、コピーされる。そうして人々に広がっていけば、「情報発信」は本望を遂げたことになる。

 実はこのような「情報発信」の考え方が今、中国人ジャーナリストたちの姿勢を大きく変えている。特に今回の列車事故は、先に鳴り物入りで開通した北京-上海高速鉄道(日本では「新幹線」と呼ばれているが)も絡んで関心が高いこと、また今年に入ってすでに山東省でも大きな鉄道事故が起き、その際に劉志軍前鉄道部長(=大臣)が失職している。この劉元部長こそが高速鉄道計画を全力で推進してきた人物であることも大きな話題の一つだ。

 これらに加え、さらに中国でここ数年続いた大事故・事件取材で、若いジャーナリストたちが「事故現場取材」の場数を踏み、だんだん慣れてきたことも大きく影響している。

 というのも、これまでの大事故・大事件では必ずどこかのポイントで報道規制が敷かれてきた。ここ十年ほどジャーナリストという職業は人気が高く、次々と若いジャーナリストが誕生しているが、現場取材で正義感に燃えてこれから...という時に必ず出る報道規制に対して彼らはかなりの経験を積んだ。

 今回の事件ではのっけからマイクロブログへの現場情報が非常に多く、彼らが以前の経験からまず現場で見聞きしたことを規制が出る前に、意識的にマイクロブログに流しているように感じられる。つまり、情報を職業メディアの世界だけでまとめられるべきだと見なしているのであれば、社に持ち帰って記事にすればよいわけだが、彼らは明らかに自社メディアを超えた範囲で「情報発信」の必要性を感じているのである。

 事故発生から6日後の28日になって現場に姿を現した温家宝首相に、現地に集まったメディアたちは厳しい質問を飛ばした。そして温首相のお供の鉄道部の官吏たちが何も言わずに去って行ったことに激しい怒りの言葉を投げかけた。そしてそれらはやはりマイクロブログにすぐに流され、我々にも「報告」された。

 ジャーナリストたちは現場の実情を目の当たりにしている。重苦しい事件や事故が続く中国で、彼らが規制の多い中国の報道の世界で今後どんな形態を作り上げていくのか。今後の発展を少なからず期待しているところである。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ドル34年ぶり155円台、介入警戒感極まる 日銀の

ビジネス

エアバスに偏らず機材調達、ボーイングとの関係変わら

ビジネス

独IFO業況指数、4月は予想上回り3カ月連続改善 

ワールド

イラン大統領、16年ぶりにスリランカ訪問 「関係強
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 2

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗衣氏への名誉棄損に対する賠償命令

  • 3

    マイナス金利の解除でも、円安が止まらない「当然」の理由...関係者も見落とした「冷徹な市場のルール」

  • 4

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 5

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 6

    ケイティ・ペリーの「尻がまる見え」ドレスに批判殺…

  • 7

    イランのイスラエル攻撃でアラブ諸国がまさかのイス…

  • 8

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    コロナ禍と東京五輪を挟んだ6年ぶりの訪問で、「新し…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 10

    ダイヤモンドバックスの試合中、自席の前を横切る子…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story