戦争をリアルにイメージできない「幸運」な日本に、イラン出身者が伝えたいこと
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<長く平和を享受してきた日本人が、ウクライナのような戦場の悲惨さや理不尽さを実感できないのは当然。ただ、だからこそ平和が続くよう努力する必要がある>
しばらく前に、筆者と同じくイラン出身で同年代の女性と日本人を交え、それぞれの子ども時代の話をしたことがあった。日本の人は当時はやったアニメや消しゴムの話をしていたが、イラン出身の彼女は私にボソッと「私たち偉かったよね、頑張ってたよね」と言った。「小学生の頃1年間くらい学校が閉鎖されて、ずっとテレビの授業を見ながら家で勉強していたじゃない? サイレンが鳴ると防空壕に避難して。覚えているでしょ?」
彼女にそう言われるまで、私は長い間その頃のことを思い出すこともなかったが、確かにそういう生活だった。私が小学校低学年の頃、生まれ育った首都テヘランはイラン・イラク戦争の真っただ中だった。
子どもだったので、つらかったとか怖かったとかいう記憶はあまり残っていないというか、そういうふうに思う余裕がないほど追い詰められた生活だった。ただ、同級生が避難していた地下室の真上に爆弾が落ちて、家族ともども焼け死んでしまって悲しかったことを強烈に覚えている。
ロシアがウクライナに侵攻してから、祖国を守るため銃を持って戦いに志願する若者や中年のウクライナ人の姿が報道されている。
それを見た私の親しい日本人は「英雄的、美しい生き方で涙が出る。戦い抜いて生きて戻ってきてほしいと思う。でも心の底では理解できない。戦争には命をささげる価値があるのか? 自分には命を懸けて戦うような何かがあるのか? だって日本では子どもが先に死んだら親が悲しむし、何が何でも逃げなきゃと思う。でもウクライナでは戦うことが英雄視される、逃げられない。それってキツいよね」と本音を漏らした。
他国が攻めてくることが現実にあり得る
ウクライナと同様、イランも大国がせめぎ合う場所に位置する。今日は平和でも、明日の朝起きたら自分の住む街が他国の戦車部隊に包囲されている、ということが起こり得る。そうなったら戦える年齢の者は全員銃を渡されて戦わなければならない。あの辺りの人々はそれが当たり前だと思って暮らしている。そのために徴兵制度があり、青年は平時でも入隊して銃の扱い方を覚え、戦い方をたたき込まれる。
私も経験したが、兵役を終えたことを証明するカードの裏にも「このカードは平和な時のみ有効であり、戦争およびその他の動員時にどのように奉仕するかはその際に決定される」と書かれている。つまり、兵役を終えた人もずっと兵士であると認識されていて、有事にはいつでも招集されるから覚悟していなさい、ということである。