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公衆衛生

権力を持ったワクチン懐疑派の脅威が現実に――影響はアメリカ以外の世界にも 

What chaos at the US CDC could mean for the rest of the world

2025年9月3日(水)16時54分
マイケル・トゥール(豪医療研究NGOバーネット研究所・主席准研究員)
アメリカのロバート・F・ケネディJr.厚生長官

アメリカのロバート・F・ケネディJr.厚生長官(8月28日、テキサス州オースティン) © Bob Daemmrich/ZUMA Press Wire

<CDC局長の突然の解任と人員削減が、アメリカだけでなく世界の公衆衛生に深刻な影響を及ぼし始めている>

ワクチン懐疑派のロバート・F・ケネディJr.がアメリカの厚生長官に就任して以来、感染症対策機関の疾病対策センター(CDC)には、科学的根拠に基づいて行われてきた公衆衛生の方針を放棄するよう圧力がかかっている。

その圧力が表面にも噴き出したのが、先週のスーザン・モナレズCDC所長の解任だ。弁護士によれば、政府で長年働いてきたモナレズは就任から1カ月足らずで、科学的根拠に基づかない「無謀な命令」に従うことを拒否したため、標的にされたという。

モナレズの後任に選ばれたジム・オニールは、医学的・科学的な訓練を受けた経歴がない。ちなみにケネディも医学の専門教育は受けていないとされる。

同日、CDCの首席医務官を含む3人の上級職員が辞任した。彼らはワクチンや新興感染症を担当する部門で指導的役割を果たしていた。

筆者は1986年〜1995年までCDCに勤務し、ほとんどが海外対象の業務だった。

CDCはアメリカ国内の公衆衛生政策を監督・支援する重要機関であると同時に、世界の公衆衛生にも不可欠な役割を果たしている。CDCの混乱はアメリカ国内にとどまらず、世界中に波及する可能性がある。

ワクチンは安全でないと拡散

2025年1月、ドナルド・トランプが2期目の大統領に就任し、ケネディが厚生長官としてCDCを所管するようになると、公衆衛生への脅威が一気に現実のものとなった。

CDC職員の25%が4月までに解雇され、外部への委託研究・活動予算は35%削減された。中止されたプログラムには、子どもの鉛中毒防止、環境衛生、HIVを含む性感染症対策などが含まれていた。

ケネディは長年にわたってワクチン懐疑論を唱えてきた。

2019年〜2020年にかけてサモアで麻疹が大流行し、5700人以上が感染、83人が死亡した。その多くが子どもだった。流行の前には、フェイスブック上でワクチンの安全性に疑問を投げかける広告が拡散されており、その一部はケネディが設立した「チルドレンズ・ヘルス・ディフェンス」が資金提供していたと報じられている。

The MMR vaccine doesn't contain 'aborted fetus debris', as RFK Jr has claimed. Here's the science

[image or embed]

— The Conversation U.S. (@us.theconversation.com) 2025年5月6日 2:33

ケネディは、ワクチン接種に関する助言を行う専門委員会「免疫実施諮問委員会」の17人の専門家を解任し、8人の新メンバーと入れ替えた。その中には、反ワクチン的な発言歴のある人物も含まれていると報じられている。

ケネディの下でCDCが行った措置は以下の通り。

•健康な子どもと健康な妊婦をCOVID-19ワクチンの「接種推奨」対象から除外。保険適用・供給の制限により、接種機会の縮小につながった

•感染症予防に有望なmRNAワクチン開発に関する総額5億ドルの契約を打ち切る

•科学的に否定されている幼少期ワクチンと自閉症の関連性を再び持ち出す

アメリカの保健衛生政策のトップであるケネディの行動が、ワクチンへの信頼と接種率に与える損害は計り知れない。影響はアメリカ国内にとどまらず、世界中に広がる可能性がある。

危機に陥った国際的感染症対策

CDCはかねてから世界保健機関(WHO)に助言を行ってきた。最初の大規模な国際活動は、共同で取り組んだ天然痘根絶プログラムだ。1960年代には西アフリカ、1970年代にはインドやバングラデシュで活動した。

ナイジェリア東部で起きたビアフラ戦争による飢饉では1968年、赤十字国際委員会の要請で緊急医療支援を行った。栄養状態のモニタリングや栄養失調対策プログラムの設計を行うための人員を派遣したのだ。

2014年3月にギニア、シエラレオネ、リベリアで始まったエボラ出血熱の大流行では、2015年7月までに3000人のCDC職員が動員され、ラボ診断や接触者追跡、監視体制の構築などの技術支援を行った。

この経験をもとに、60カ国以上の政府や国連機関、NGOが参加して感染症のパンデミックなどを防ぐため、「世界健康安全保障(GHSA)」が立ち上がった。アメリカはオバマ政権下でこの枠組みに多額の資金を拠出し、CDCが活動の中核を担った。

WTOとの連絡も禁止

だがトランプは2次政権の発足直後、WHOを脱退し、海外援助を全面停止する大統領令を出したため、HIV/AIDS、マラリア、結核、肝炎などの予防・治療に関する大型支援プログラムが中止された。

CDC職員はWHOとの連絡を一切禁じられ、CDCの専門家もグローバルな諮問委員会を辞任せざるを得なくなった。

また海外援助の停止命令でアメリカ国際開発庁(USAID)が解体され、83%のプログラムが消滅し、5200件の契約が打ち切られた。紛争や飢饉で深刻な人道危機に直面しているスーダンのような国では、命を守る支援の供給能力が著しく低下している。

ある研究では、USAIDの予算削減により、2030年までに最大1400万人の死亡につながる可能性があると指摘している。

予算と人員の削減により、CDCの国際的な関与能力は著しく低下した。たとえば、母子保健部門が閉鎖され、22人の職員が全員解雇された。この部門は、途上国におけるHIV母子感染予防プログラムを支援してきた。

財政支援の削減と専門人材の大量離職、そして科学的な政策プロセスへの干渉は、CDC本来の任務遂行能力は著しく損なわれている。アメリカ国民の信頼も失い、もはや世界最高の公衆衛生機関とは見なされていない。

各国政府、研究機関、保健開発機関は、こうした世界的な公衆衛生の知見の喪失に対して、明確に抗議の声を上げる必要がある。何百万もの命が、それにかかっている。

The Conversation

Michael Toole, Associate Principal Research Fellow, Burnet Institute

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


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