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1件40円、すべて「自己責任」のメーター検針員をクビになった60歳男性

2020年8月27日(木)07時35分
印南敦史(作家、書評家)

だから、何があっても"自己責任"だ。事実、著者は直接の雇用主のところへ面接に行ったときにも、「あなたは一国一城の主です。社長さんです。稼ぎは社長さんのがんばり次第です。がんばってください」と言われたという。業務委託とは、会社側が仕事をお願いするだけ。

構造としては、昨今問題化されているウーバーイーツと同じ仕組みだ。何が起ころうが、あとはすべて自分の責任で仕事をするということである。

したがって、どんなトラブルが起きようとも補償はされない。著者の住む鹿児島は「台風銀座」と呼ばれる地域だが、言うまでもなく対応は自分次第だ。


明るみを増していた空が皇徳寺台あたりで急に暗くなり、雨が落ち始め、念のために着ていたカッパにパラパラと音を立てた。そしてたちまち叩きつけるようになり、横殴りの風が吹き始めた。台風の目だったのだ。
 団地の坂をくだるとき、私の前を走っていた車が風によろめいた。恐ろしかった。坂をくだりきったとき、雨はほとんど水平に降り、私のバイクは後ろからの風に押されていた。
 こんなところで死んでたまるか、と目の前のガソリンスタンドに飛びこんだ。(50ページより)

急性メニエール病からくるめまいに悩まされても、仕事は休めない。植木鉢をひっくり返されたと濡れ衣を着せられる(しかし謝るしかない)など、トラブルは日常茶飯事。家にあがってブレーカーの色を確認して帰ろうとしたところ、汚れた靴下でカーペットが汚れたと100万円を請求された検針員もいたそうだ。

かように検針員には、必要以上の責任が覆いかぶさる。しかも自己責任。そして、そんな日常が10年続いた結果、いよいよスマートメーターの導入が決まる。ついに検針員が不要となることになったのだった。

ただし「明日から仕事がなくなる」というわけではなく、以後10年あまりの時間をかけて徐々に切り替えていくという説明があった。ところが業務委託の契約更新が始まると、著者は"宣告"を受けることになる。


「毎日、ごくろうさまです。暑かったり、寒かったり、たいへんですね」
 支社長の隣に座っている松田課長は黙っていた。閉じた口元に力が入っていた。柔道で鍛えた表情だろうなと思う。
「川島さん、もう10年やっているんですね」
「はい」
「昨年の誤検針は4件、突然の休みが過去1回、3日間ね。まぁ、これは急にめまいに襲われたということですね」
 そうした記録が残っていたこと、そしてそれをひっぱり出してきたことに驚いた。
 例年なら「ハンコは持ってきましたね。2枚とも押してください」で、5分もかからない契約更新だった。
「今年で60歳。どうですか体力は続きそうですか。かなりきついんですよね」
「はぁ」
「川島さんのためにもですね、今回は契約の更新はしないつもりですが、了承してもらえますか」
 支社長の前置きの長さは、このひと言を言うためだったのか。
 松田課長は口を閉じ、人をじろりと見るあの目で私を見ていた。
 その視線に、私はなんのためらいもなくなってしまった。
「わかりました」と答えた。(199〜200ページより)

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