コラム

ウクライナ東部、マレーシア航空17便撃墜事件と戦争のはじまりを描く『世界が引き裂かれる時』

2023年06月16日(金)11時28分

2014年にウクライナ東部で実際に起きた大惨事に着目......『世界が引き裂かれる時』

<ウクライナ出身の女性監督マリナ・エル・ゴルバチの新作『世界が引き裂かれる時』で、2014年にウクライナ東部で実際に起きた大惨事に着目することで、戦争のはじまりに異なる光を当てる......>

昨年公開され、コラムでも取り上げたヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督の『リフレクション』(2021)では、2014年に首都キーウから分離をめぐる紛争が繰り広げられる東部戦線に身を投じ、捕虜になる外科医を通して、ウクライナ戦争のはじまりが描き出されていた。

ウクライナ出身の女性監督マリナ・エル・ゴルバチの新作『世界が引き裂かれる時』では、2014年にウクライナ東部で実際に起きた大惨事に着目することで、戦争のはじまりに異なる光があてられる。その大惨事とは、同年の7月17日、アムステルダム発クアラルンプール行きのマレーシア航空17便が、ウクライナ東部上空を飛行中に、親ロシア派分離主義勢力が支配する地域から発射された地対空ミサイルによって撃墜され、乗客乗員298人が死亡した事件だ。

親ロシア派武装勢力の脅威が夫婦に迫る

物語はそんな事件が起こる日に設定されている。妊娠中で出産を間近に控えたイルカと夫のトリクは、ロシアとの国境に近いウクライナ東部のドネツク州グラボベ村に暮らしている。その日の明け方、優位に立つ親ロシア派分離主義勢力の誤射によって、夫婦が住む家の壁が破壊され、大きな穴が開いてしまう。

ふたりはすぐに壁の修繕に取りかかろうとするが、上空を飛行していた航空機の撃墜事件が起こり、グラボベ村近郊に機体が散乱し、村を含む地域が封鎖され、さらなる混乱が巻き起こる。墜落現場で遺体の回収や行方不明者の捜索が進むなかで、親ロシア派武装勢力の脅威が夫婦にも迫り、食糧や自由を奪われ、破局に向かっていく...。

そんな夫婦の運命には、対極の立場にあるふたりの人物が関わっていく。ひとりは、トリクの友人で日和見主義的なサーニャ。親ロシア派武装勢力と行動を共にし、トリクも引き込もうと彼に制服を渡す。もうひとりは、イルカの弟のヤリク。キーウの大学を卒業してドネツクに戻ってきた彼は、親ロシア派分離主義者に対する敵意を露わにし、姉を安全な地域に連れ出そうとしている。

なんとか対立を避け、妻を病院に連れて行きたいトリクは、親ロシア派武装勢力に対して極力従順に振る舞おうとするが、そんなふたりが彼を追いつめていく。

独特のカメラワークが生み出す効果

本作は、こうした緊迫した状況を、生活を守るために奮闘するイルカというヒロインの目を通して描いているが、単純に彼女を中心に据えた映画と考えてしまうとその魅力が半減する。確かに、人物たちの図式やドラマから見れば彼女が中心に位置しているのは間違いないが、映像のなかでは必ずしも中心とはいえない。

本作では、長回しやロングショット、非常にゆっくりとしたパンを組み合わせたような独特のカメラワークが多用され、様々な効果を生み出している。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ソフトバンクG出資の印オヨ、再度IPO撤回 債務借

ワールド

ノルウェーなど3カ国、パレスチナ国家承認 イスラエ

ワールド

米、パレスチナ国家の一方的承認に否定的 直接交渉を

ワールド

指名争い撤退のヘイリー氏、トランプ氏に投票と表明
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:スマホ・アプリ健康術
特集:スマホ・アプリ健康術
2024年5月28日号(5/21発売)

健康長寿のカギはスマホとスマートウォッチにあり。アプリで食事・運動・体調を管理する方法

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    能登群発地震、発生トリガーは大雪? 米MITが解析結果を発表

  • 2

    ウクライナ悲願のF16がロシアの最新鋭機Su57と対決するとき

  • 3

    「目を閉じれば雨の音...」テントにたかる「害虫」の大群、キャンパーが撮影した「トラウマ映像」にネット戦慄

  • 4

    「天国にいちばん近い島」の暗黒史──なぜニューカレ…

  • 5

    高速鉄道熱に沸くアメリカ、先行する中国を追う──新…

  • 6

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された─…

  • 7

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 8

    魔法の薬の「実験体」にされた子供たち...今も解決し…

  • 9

    黒海沿岸、ロシアの大規模製油所から「火柱と黒煙」.…

  • 10

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 1

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    娘が「バイクで連れ去られる」動画を見て、父親は気を失った...家族が語ったハマスによる「拉致」被害

  • 4

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 8

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 9

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 10

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 1

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story