コラム

究極の有機農法、ブルゴーニュのワイン造りにせまったドキュメンタリー『ソウル・オブ・ワイン』

2022年11月02日(水)18時10分

さらに、ビオディナミ農法にも注目する必要がある。『ワインの科学』で「農場全体を一個の生命体系と見なし、それを月の満ち欠けや宇宙のリズムといったもっと大きな枠組みのなかで位置づけること」と説明されているこの農法に、ゴルバネフスキーもこだわりを持っている。なぜなら、プレスのインタビューで、「私が映画で撮ったドメーヌは、有機農法のクリストフ・ルーミエを除いて、全てビオディナミ農法です」と語っているからだ。

そこで筆者がもうひとつ、思い出していたのが、以前コラムで取り上げたドキュメンタリー『ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方』(2018)に登場していたアラン・ヨークのことだ。荒れ果てた広大な農地を購入し、生態系を再現するような究極の農場を作ろうとするジョンとモリーのチェスター夫妻。モリーが、そんな夢を叶えるためにコンサルタントとして農場に招いたのが、バイオダイナミック(=ビオディナミ)農法の先駆者のひとり、アラン・ヨークだった。夫妻がそのアランの指示で最初に着手したのは、ミミズを使って有機物の分解を促進するミミズ養殖(バーミカルチャー)であり、土壌は着実に変化していく。

映画ではアランの背景については何も触れられていなかったが、それ以前の彼のクライアントは、カリフォルニアのベジンガー・ファミリー・ワイナリーやミュージシャンのスティングと妻のトゥルーディ・スタイラーがトスカーナに所有するワイナリー、イル・パラジオなど、みなワイナリーやワイン農家だった。『ワインの科学』で紹介されているビオディナミ・コンサルタントのジャック・メルも、農業全般を扱っているものの、ワイン農家への導入率が一番高いということだった。

アランはあるインタビューで、バイオダイナミック農法がワインの世界で飛躍を遂げた理由について、品質に真の価値を置く数少ない農業分野であり、個々の土地のユニークな特徴を引き出した高品質なワインを世界中の人々が味わえるような農業分野が他にないからだと語っていた。テロワールを信奉するブルゴーニュで、ビオディナミ農法が重要な意味を持つのも頷ける。但し、『ワインの科学』でグッドが、「ビオディナミの理論的根拠を科学的に語るのが難しい」と書いているように、おいそれと受け入れられるような農法でもない。

中世の超自然的な感受性と現代のビオディナミ農法の結びつき

では、ゴルバネフスキー監督は、最初の方で触れたブルゴーニュの伝統や歴史とビオディナミ農法という革新の関係をどのようにとらえているのか。伝統を守るためには革新を進める必要があるということもできなくはないが、それだけでは安易すぎるだろう。

ここで筆者が振り返ってみたいのが、マット・クレイマーの『ブルゴーニュワインがわかる』だ。クレイマーは「テロワールとはなにか」の章で、テロワールを理解するためには、現代の精神という尺度を見直す必要があるとして、フランスの歴史家マルク・ブロックの代表作『封建社会』から以下のような記述を引用している。

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『ブルゴーニュワインがわかる』マット・クレイマー 阿部秀司訳(白水社、2000年)



「封建時代の人びとは、私たちよりもはるかに自然に近かったし、かれらの知る自然とは、今日思われているほどおとなしくはなく、角もとれていなかった。......人類誕生当時のように野生の果実をつみ、蜂蜜をあつめる。いろいろな道具を作るうえで、木は中心的な役割をはたした。そまつな照明のせいで夜はもっと暗かったし、城塞の生活空間でも寒さはなおきびしかった。はやいはなし、いかなる社会生活をいとなもうと、基調には原始状態があり、支配不能な力に服従し、矯めようのない自然の反作用をうけていたのである」

クレイマーはそれを踏まえて、いまの世では、「超自然的な感受性は洗い流されてしまった」と書いている。

ゴルバネフスキー監督は本作で、ビオディナミ農法を強調する一方で、中世の世界に思いを馳せるように、当時の生活を伝える絵画やレリーフ、木製の道具などの映像を挿入している。彼女は、中世の超自然的な感受性と現代の超自然的なビオディナミ農法に深い結びつきを感じていたのかもしれない。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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