天安門事件から34年、中国化した香港に見る「パンとサーカス」の統治
不満や批判を抑え込む巧みな統治
買い物ついでに販売スタッフの中年女性に声をかけ「今日は天安門事件の記念集会はないのですか?」と単刀直入に尋ねてみたところ、和やかな表情を一変してこわばらせ「分かりません!」と短く早口で返された。「あちらの案内所で聞いてください」とのことだった。
案内所でも同じように聞くと「ありません」と言われ、なぜ今年はないのかと問うと「今日のイベントは香港返還を祝うものだからです!」と強い口調で返された。そして、会場パンフレットの「慶祝香港回帰祖国26周年」と書かれた部分を何度も指差された。
来場者の中年女性にも同じことを聞くとやはり「分かりません」と言われ、「私は買い物と食事が好きなので」と苦笑いされた。60代男性は「追悼イベントがなくなったことは、それほど気にしていません。いつまでも過去にこだわっていても仕方がない。未来を向いていかないと。追悼したい人は、それぞれ自分の家でやれば良いんです。個人で追悼する自由は守られていますから。集団になると混乱が生じて良くない」と語っていた。
会場を歩いて感じたのは、天安門の日に親中的レジャーイベントをぶつけるという香港政府(あるいはその上にいる中国共産党)の統治の巧みさだ。獅子舞や中国武術などの芸術活動や、中国各地の特産品といった食文化に対して反感を抱くことは、素朴な感覚としてとても難しい。むしろ、こうした広大な土地や独自の文化を持つ「中国人」であることに、来場者が誇りを持てるような仕組みになっている。
防刃ベストに身を包んだ大量の警察官が場内を見回りしていた姿こそ異様ではあったものの、イベント自体は香港と中国大陸の融和を思わせる極めて友好的な雰囲気のものだった。
もしも公園を封鎖して集会を阻止したり、集まった人々を強制的に退去させるなどしていたら、より多くの反発を招いただろうし、国際社会からの非難も強まっただろう。歌と踊りの祝祭ムードで人々を楽しませるという、露骨極まりない「パンとサーカス」が結局は大衆をコントロールする最善手となったようだ。そうして真綿で首を絞められるように、少しずつ確実に、香港は中国社会と同化していくのだろう。
イベント終了後、公園の入り口近くではLEDライトの電子ロウソクを使って祈りを捧げようとする人の姿もあったが、すぐに警察に取り押さえられていた。アメとムチの使い分けが、非常に明確だった。
習近平は2日、「文化強国の建設」を指示。「中華民族の優れた伝統と文化を後世に伝え発展させるとともに、外来の文化の現地化を進めるべきだ」などと語った。文化に力を入れるなら結構なことのように聞こえるが、文化の力は時に権力維持や社会のコントロールに役立つことも、中国共産党は知っているに違いない。
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