コラム

「最も巨大な国益の損失」を選択したイギリス

2017年04月03日(月)05時50分

イギリスは「無条件降伏」をしなければならない?

問題は、EU側にはそのような意図があまりない、ということだ。イギリスが民主主義国であるのと同様に、EU諸国も民主主義国である。したがって、フランス政府やドイツ政府が迫りつつある選挙に勝つためにも、また国内で台頭するEU離脱を求める極右勢力に対抗するためにも、EU離脱が不利益をもたらすことを示さなければならないのだ。また、EU離脱が誤った選択であることを証明しなければならないのだ。

EU加盟国のいずれの政府も自国の利益、自国が加盟しているEUの利益を最優先するのが当然であって、そのためにはイギリスの利益を損ねるような決断を行うことも躊躇しないはずである。

具体的にEUは、総額約7兆2000億円にも上るEU予算の分担金をイギリス政府が支払わなければ、離脱協定の交渉も、貿易協定の交渉も進展させない意向である。これから2年が経過して、EUとの貿易協定が合意できなければ、もっとも苦しむのはイギリス自身である。だとすれば、イギリスはEUに対して「無条件降伏」をしなければならなくなるかもしれない。あるいは、EU加盟が失効することで、イギリス経済は前代未聞のカオスを経験するかもしれない。いずれも悪夢のシナリオである。

交渉上、イギリス政府は圧倒的に不利な立場にあるが、イギリス政府で交渉を担当するデヴィッド・デーヴィス離脱担当相は経済的合理性よりもEU離脱というイデオロギー的な正義を優先する保守党内の離脱最強硬派である。したがってデーヴィス離脱相にとって、イギリス経済が混乱することは、自らの政治理念を実現する上での必要なコストと考えているのだろう。

国際政治の世界は、基本的にパワーが重要な意味を持つ。EUの経済規模は、イギリスのGDPの約5倍である。5対1の経済力の格差があって、EUが交渉上優位に立つのは当然である。EUは自らにとって有利な貿易協定の締結を模索し、イギリスは必然的にEUの圧力に屈することになるであろう。

【参考記事】ブレグジットがもたらすカオス 最初の難関は600億ユーロの離脱清算金

貿易協定は2019年3月までの合意は不可能だ

それでは、これからイギリスにはどのようなシナリオが考えられるのだろうか。まずは、4月および5月に行われるフランス大統領選挙の結果を待って、5月下旬から本格的な離脱交渉がはじまると考えられる。イギリス政府はデーヴィス離脱相、そしてEU側はミシェル・バルニエ首席交渉官が、両者にとって受入可能な離脱協定の合意を目指して交渉を行う。両者ともに経験豊かな政治家であって、強硬な交渉姿勢を示すであろう。

プロフィール

細谷雄一

慶應義塾大学法学部教授。
1971年生まれ。博士(法学)。専門は国際政治学、イギリス外交史、現代日本外交。世界平和研究所上席研究員、東京財団上席研究員を兼任。安倍晋三政権において、「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、および「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」委員。国家安全保障局顧問。主著に、『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社、サントリー学芸賞)、『外交による平和』(有斐閣、櫻田会政治研究奨励賞)、『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会、読売・吉野作造賞)、『国際秩序』(中公新書)、『歴史認識とは何か』(新潮選書)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

午後3時のドルは144円近辺へ上昇、日銀会合後に円

ビジネス

テスラ会長、マスク氏の後継CEO探し否定 報道は「

ワールド

米、中国に関税交渉を打診 国営メディア報道

ビジネス

NZフォンテラの消費者事業売却、明治など入札検討か
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 2
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    中居正広事件は「ポジティブ」な空気が生んだ...誰も…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 10
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story