World Voice

アルゼンチンと、タンゴな人々

西原なつき|アルゼンチン

日本の業界用語のルーツがアルゼンチンにあったかもしれないという話を検証してみた



ということで、ゆるりと聞き込み調査をしてみたところ、当時日本のタンゴ楽団で活動されていたヴァイオリン奏者の中田智也さんから、有力な証言?!を得ることができました。


日本のタンゴ界を代表する歌手、故・藤沢嵐子さんが、日本のタンゴミュージシャンとして初めてアルゼンチンを訪問したのが、1953年のことです。
日本へ帰ってきて、「あっちでも日本と同じでゴタンって言っていたわよ」
とお話しされていたのだそうです。


さらには、中田さんよりも先輩のミュージシャンが、「それよりもっと前から、日本のバンドマンたちは逆さ言葉を使っていた」と語っていた、とも。


アルゼンチン人と日本人のミュージシャンたちがくだけた会話を交わすような親密な交流が始まる前から、既に日本でも逆さ言葉は使われていたということなのでしょう。
1950年代より前に日亜のミュージシャン間の交流があったとは考えづらく、それぞれの国で同じようにタンゴのことを「ゴタン」と呼んでいたのは、偶然の同時発生なのではないか、という意見を多く頂きました。


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後に、日本人歌手×アルゼンチンの楽団がコラボレーションし、アルゼンチンのレコード会社から販売されたタンゴのレコード。タクシー運転手さんなどとの雑談などで「日本からタンゴを勉強しに来た」と話すと、「Rankoみたいだね!!」と言われます。



とは言え、タンゴ文化自体が本格的に日本に輸入された年は1926年と言われています。
実際の交流はなかったとしても、その間にレコードジャケットなどの情報からなど、どこかから伝わったという可能性も・・・なきにしもあらず、かもしれません。



*あとがき

1954年には9か月間の日本滞在をしたバンドネオン奏者がいたり、後にはもっと長い年数で滞在したミュージシャンもおり、その当時にお互いがそれぞれ文化に与えた影響はタンゴ、音楽だけでなく、様々なものがあるでしょう。
上にあげたレコードはまさにタンゴを介した日亜の文化交流の代表的なもの。他に日本の文化がタンゴを通じてアルゼンチンへ渡った例としては、1954年最初に来日した楽団に参加していた、ウーゴ・バラリスというヴァイオリニストは後に「Anoné(あのね)」という曲を発表しています。(後にアストル・ピアソラもこの曲を取り上げています。)また、こちらの作品のように、日本の歌をタンゴアレンジにして集めたアルバムもあるのです。日本を意識した作品は、アルゼンチンに数多く存在します。






 

Profile

著者プロフィール
西原なつき

バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。

Webサイト:Mi bandoneon y yo

Instagram :@natsuki_nishihara

Twitter:@bandoneona

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