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England Swings!

ラッシャー貴子|イギリス

厳しい暮らしを反映するクリスマスCMが話題に

 そして今年、今の英国社会をよく表していると広く共感を集めたのが、『ゴーカート』というタイトルのこの動画だ。

制作者サム・ティールさんのYouTube投稿より。内容は下記の本文参照。メインテーマのほかに、登場人物の人種がさまざまだったり、男の子がメガネをかけていたりするところにもご注目。英国の広告では多様性がさりげなく、でも確かに表現されている。夫によれば、こういう素朴な手作りゴーカートは1950年代ぐらいには大人気のおもちゃだったそうで、ある世代の英国人はノスタルジーを感じるのかもしれない。

 床屋で「クリスマスに何をもらうの?」と聞かれた幼い男の子は、「今年はサンタさんは病気なの」と答え、その子の父親は帰り際、「今日はお代はいいよ」とさりげなく伝えられる。家に帰って子どもはチキンナゲットとフライドポテトの簡単な夕食、でも父親の席に食事はない。子どもが寝た後に、暖房も灯りも消した部屋でコートを着込み、ひとり泣く父親。

 この動画は、光熱費や物価の高騰に苦しむ現在の英国の家庭をリアルに映していると大きな話題になって、ネット公開から24時間以内に400万回以上再生された。制作者のサム・ティールさんは、「生活費の高騰に苦しむ家庭の姿を表現したかった。クリスマスは誰といるかが大切で、亡くなった人のことを思う時でもある」と話している。

 英国の物価上昇はだいぶ前から始まっていた。去年の冬にすでにさかんに使われていたheat or eat(暖房をつけるか食事をするか、片方しか払う余裕がない)という言葉は、今ではすっかり定着している。さらに今年は光熱費の高騰もあって、この父親は節約のために動画で暖房を切り、食事も自分はしない。この動画のふたりほど困っている家庭の割合は決して高いわけではないけれど、確かに存在する。フードバンクに並ぶ人はますます増えて提供する食料が不足し、ロンドンではとうとう公共施設を利用して暖房の入った空間を無料で提供するサービス(Warm Bank、ウォームバンク)まで始めた。

 光熱費は10月から80%引き上げられたけれど、政府の補助金が下りることになったので、実は今のところ、恐れていたほどの金額にはなっていない。集合住宅で大人ふたり暮らしのわが家の例でいうと、今年4月にそれまでの月66.56ポンド(約11,000円)から90ポンド(約15,000円)に上がり、7月に142.78ポンド(約23,500円)になり、10月からの補助金で11月は75.78ポンド(約12,500円)に落ち着いた。それでも補助金は来年3月までだし、12月に入って急激に寒くなった影響で、来月は221.12ポンド(約36,500円)になりそうだと見積もりが送られてきた。やっぱり暖房を使うと高くなる! 用心のためにも、厚着をして暖房の温度設定を下げたり、温水を使う量を減らしたりして今後に備えなくてはとわたしも思うし、あちこちで同じような話を聞く。支援を受けるほど困っていなくても、節約モードに入っている市民は多い。

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恒例のリージェント・ストリートのクリスマスのイルミネーション。節約に努める家庭が多いなか、イルミネーションを灯さない選択もあったかもしれないけれど、日照時間がとても短い時期だし、今年は気が滅入るニュースばかりだから、せめて街なかだけでも明るく華やかにしたい気持ちはよくわかる。どこも売り上げが伸びないと言われる中、ロンドンの繁華街はクリスマスの街をぶらつく人でごったがえしている(買い物はあまりしないらしい)。イルミネーションまでなくしてしまったら、文字どおり暗くなって落ち込みそうだ。とはいえ、節電も行われている。このイルミネーションの電球はLEDに切り替えられ、点灯時間も今年は15時から23時(去年までは24時間)に短縮されている。筆者撮影

 話を動画に戻すと、この家族にとってさらに不幸なことに、子どもの母親は亡くなっていた。墓から家に戻った父親は何やら大がかりな作業を始めて、クリスマスの日を迎える。玄関にサンタクロースの足跡を作って、キャンドルの灯りの下でサンタからのカードも代筆した。息子がプレゼントを開けると、何の飾り気もない木のゴーカートが現れる。もちろんモーターは付いていないから、父親は息子を乗せたゴーカートを手で引いて出かける。母親の墓の前まで来た男の子が「ママ、メリークリスマス」と言ったところで、「クリスマスの魔法は作るもの、買うものではありません」の文字が浮かび上がる。

 今月は、物価高騰などの問題から派生して、全国的にさまざまなストライキが行われている。おなじみの鉄道、地下鉄に加えて、郵便局、看護師や救急隊員、空港職員などなど、ストライキがない日を探す方が難しいくらいだ。こんなに広い範囲でサービスやインフラが麻痺しているので、日々の暮らしは大混乱だ。クリスマスカードやプレゼントの配達は例年以上に大幅に遅れ、年末年始の休暇や帰省の移動手段を確保するのも大仕事、空港に行っても飛行機に乗れるかどうかわからない、列車はストライキでない日もなぜだか間引き運転をしているし、事故があっても救急車がはたして来るのかどうか。やれやれ。

 ゴーカートの動画がこんなに支持されたのも、こんな時には厳しい現実を見つめつつ励まし合い、より厳しい環境にある人に心を寄せようという思いからかもしれない。

Profile

著者プロフィール
ラッシャー貴子

ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。

ブログ:ロンドン 2人暮らし

Twitter:@lonlonsmile

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