World Voice

トルコから贈る千夜一夜物語

木村菜穂子|トルコ

トルコでは犬猫が政治的な駆け引きのツールになる?‐ 有名になりすぎた野良犬 Boji の身に危険が及んだいきさつ

筆者撮影 ‐ ドネルケバブ屋さんの前でくつろぐ犬

トルコが動物に優しい国であることは知る人ぞ知る有名な事実。特にイスタンブールはお外に住む犬や猫たちがのびのび生活する街として、訪れる観光客たちにインパクトを与えてきました。

Youtube には、イスタンブールの路上を住みかとする犬や猫たちを映したツーリストによる動画が多くアップロードされており、イスタンブールが街の美しさと共に動物好きな外国人を魅了していることが分かります。動物と人間が同じエリアで共存するというこのスタイルはオスマン帝国から続いているトルコのいわゆる「伝統」でもあり、この伝統への誇りがトルコ人を動かしているとも言えます。

Youtube の THE CITY OF FAT ANIMALS! という動画

筆者も動物たちが自由に闊歩するこのイスタンブールの街の魅力に取りつかれた外国人の一人です。このイスタンブールの街の様子は Newsweek への寄稿でも幾度か取り上げました。「猫の猫による猫のための街 ‐ The city of the cats, by the cats, for the cats」や『トルコでは動物にも「権利」がある? 新たに「動物の権利法」が可決』などの記事です。

イスタンブール市のとある野良犬がトルコのセレブとなる

さて、去る2021年にトルコでセレブとなった犬がいます。その名も「Boji (ボージー)」。イスタンブールの路上で生活していた何の変哲もないごく普通の野良犬...に見えますが、なんとこの Boji は人間と同じようにメトロやフェリーなどイスタンブール市内の公共交通機関を乗り継いで移動します。Boji が人間に交じって公共交通機関を乗り降りする姿がソーシャルメディアで拡散されるようになり、人気が高まりました。


Boji を扱った番組 「Meet the dog touring Istanbul on public transport」 ‐ Youtube より

イスタンブール市役所はそんな Boji にマイクロチップを取り付けます。その結果 Boji の驚くべきスキルが明らかになりました。飼い主がいなくても、どこへ行くか・どこで乗るか・どこで降りるかを自分でしっかり把握しています。朝 10 時から夜 9 時ごろまで活動的に市内をめぐります。その移動距離は毎日 30 キロほど。おとなしくて礼儀正しくこざっぱりしていて、人に迷惑をかけることもありません。列車の乗り降りのルールもしっかり理解していて、乗客が降りるのを待ってから乗車します。さらにドッグフードは好きではなく、人間と同じようにキョフテ (トルコ風のハンバーグ) やチキン料理を好みます。

自由に気の赴くままにイスタンブール市内を移動するBoji は瞬く間に人気者になり、Boji のツイッターアカウントインスタグラムには 13 万人以上のフォロワーがついています。筆者ももちろんフォロワーの 1 人です。

ちなみに Boji は他の野良犬たちと同じようにワクチン接種を終えており、行政による健康チェックのほかに体も清潔にしてもらっています。また先ほど触れたように Boji にはマイクロチップが埋め込まれているので一日の動きが把握できます。行政によるここまで手厚いケアがなされているという意味では Boji は確かに特別な犬ですが (通常はワクチン接種のみ)、行政と住民が一体となって路上の動物たちを世話するという意味においては、特別なケースではありません。

トルコの歴史を変える岐路に立っているのか?

ところがそんなイスタンブールの光景に変化をもたらす、いわば歴史の転換点に私たちはもしかして立っているのかもしれません。ことの発端は、2021 年 12 月 23 日のエルドアン大統領の発言です。

"Sahipsiz hayvanların yerinin sokaklar değil barınaklar olduğunu unutmamalıyız. Belediye başkanlarına sesleniyorum, sahipsiz hayvanlar için ön alın, sıcak, güvenli barınaklar kurun"

飼い主がいない動物たちの住む場所は路上ではなくシェルターであることを忘れてはいけない。市長たちに私は声をあげる。飼い主がいない動物たちを温かくて安全なシェルターに集め入れよ


この発言に至る直接のきっかけとなったのは、ガジアンテプで飼われていた 2 匹のピットブル犬が 2021 年 12 月 22 日に同市の 4 歳の女の子を襲い、首や顔面にかみついて重傷を負わせた事件です (こちらの動画をご参照ください)。4 歳の女の子アイシェちゃんは病院に緊急搬送され、緊急手術が行われました。一時は亡くなる可能性もあるほどでしたが、48 時間後に集中治療室から一般病室に移ることができたようです。顔面麻痺が残っているため、現在は 2 度目の手術を待っているということです。

この事件の後に行われた演説で先ほど引用した発言がなされました。その後 12 月 25 日にエルドアン大統領は、自身のツイッターでさらに以下のようにツイートしています。

"Sahipsiz hayvanların sokaklardan alınarak temiz ve güvenli ortamlara taşınmasını önemli bir hizmet olarak görüyorum. Tüm belediyelerimize hem vatandaşlarımızın güvenliğini sağlayacak hem bu canları koruyacak adımları süratle atmaları çağrısında bulunuyorum."

飼い主がいない動物を路上から取り除いて、清潔で安全な環境に移すことは重要な措置だと思います。 すべての自治体に対し、市民の安全の確保とこれら動物たちの命を守るための措置を迅速に講じるよう要請します。

これは動物愛護者や愛護団体の大きな抗議につながり、路上の動物の扱いについての論議がトルコ国内で巻き起こっています。まず、今回ガジアンテプで起きたピットブルの事件は野良犬ではなく飼い犬でした。ですから、この事件がなぜ野良犬をシェルターに入れることに直結するのかという素朴な疑問が生じます。

動物と人間との共存はオスマン帝国時代からの伝統だという声もありますし、動物 (特に犬) をシェルターに入れるということはつまり見捨てることだという非難の声が上がってもいます。まずトルコ国内にシェルターの数は多くありません。またシェルターの悪環境について指摘する声もあります。エルドアン大統領のツイッターに返信する形で、シェルターとみられる場所でやせこけている犬たちの写真や動画がアップされています。

イスタンブール市長のイマモール氏は、エルドアン大統領のツイッターに呼応する形で、自身のツイッターに 12 月 28 日に以下のように書き込みました。

"İBB olarak Hayvanları Koruma Kanunu'na uygun şekilde, sokak hayvanlarını kısırlaştırma, aşılama, antiparaziter uygulama ve dijital kimliklendirme işlemleri sonrasında alındıkları yere geri bırakıyor ve düzenli kontrollerini sağlıyoruz. Olması gereken de budur."

イスタンブール市として、動物保護法に乗っ取り、路上の動物たちに去勢・避妊手術やワクチン接種、抗寄生虫剤を施し、デジタル ID を発行してから元いた道路へ返します。また定期的なケアを施します。必要なのはこうした措置です。

つまり、イスタンブールはこれまで通りに路上の動物たちの世話をしていきますよ、シェルターに入れませんよ、ということになります。またこのツイッターの動画には、イスタンブール市が管轄する İstanbul Büyükşehir Belediyesi Veteriner Hizmetleri (アニマルケアサービス課) がワクチン接種や病気の動物たちのケアに積極的に取り組む様子が収められています。

相反する政策?

このエルドアン大統領の発言とイスタンブール市長イマモール氏の発言がいわば相反することにお気づきになったかと思います。実はエルドアン大統領が率いるのが公正発展党(AK Parti = AKP) で 2002 年から政権与党となっています。対してイスタンブール市長は共和人民党 (Cumhuriyet Halk Partisi = CHP) でトルコの最大野党のいわば「顔」。

2019 年にイマモール氏が市長に当選した時、与党側は手痛い敗北を期したことになります。実際、公正発展党 (AKP) がイスタンブール市長選の結果に異議を唱えて、再投票が行われたという経緯もあります。しかし 2 回目ともイマモール氏の当選が確定しました。政策の違いで政党間がぶつかるのはよくあること。トルコでも与党と野党が政策の違いを明確にしています。今回のケースを受けて、路上に住む犬猫の扱いでさえも政治的な駆け引きのツールになるのかという声が上がっています。

Boji は政治に巻き込まれたのか?

それを如実に示すのが 先ほどの人気野良犬 Boji に起きた一連の出来事です。人気急上昇でイスタンブールのマスコット的な存在になった Boji。そんな Boji について 11 月のある日こんなニュースが飛び交いました。「Boji、路面電車内でうんこをする!」車内の座席に糞とみられるものがべったりついています。これは Boji の仕業だといわれました。ソーシャルネットワーク上は炎上します。ところがのちにそれが Boji によるものでなく、ある男性が自分のポケットから糞を取り出して座席に塗り付けている様子が車内に設置されていた防犯カメラで明らかになりました。この動画は、イスタンブール市の広報担当 Murat Ongun 氏のツイッターで公開されています。

Boji の評判を損なおうとするこの行為は「Boji conspiracy (Boji への陰謀)」とまで呼ばれています (こちらの記事をご参照ください)。

Boji 側はツイッター上で直ちに反論

"Bugün tüm gün kulübedeydim, İstanbul'u gezmedim bile. Tramvayı kirletip suçu bana atmışsın. Kötüsün"

僕は今日一日中キャビンにいたんだ。イスタンブールに行くことさえしていない。あなたは路面電車の車内を汚して、それを僕のせいにしたね。なんて悪い人なんだろう。

Boji が突然巻き込まれたこの一連のたくらみを受けて、様々な憶測が飛び交いました。これは野党の顔であるイスタンブール市長イマモール氏の評判を落とそうとする動きだという意見もあります。イスタンブール市のマスコットキャラクターのような存在だった Boji にでっち上げの罪を着せることで、イマモール氏の市長としての管理能力に疑問をさしはさみたいという思惑があったのではないかなどともいわれています(こちらの記事をご参照ください)。

実際には、この男性の素性は明らかにされていません。単に動物嫌いだったのかもしれませんし、何かしらの政治的あるいは宗教的意図があったのかもしれません。いずれにしてもこの男性の素性が分からないのでなんともいえません。憶測は社会を分断するだけです。

ただし野良犬までが政治に巻き込まれたかに見えるこの事件。その後、Boji の身に危険が及ぶことを心配したイスタンブール市は Boji の飼い主を探すことに着手します。実際このたくらみが起きた 11 月 19 日以降、Boji はイスタンブール市が管理するシェルターに保護されていたようで、もはや街中を自由に闊歩することができなくなりました。有名になったばっかりに身に危険が及ぶようになった野良犬 Boji。

そして 2022 年の 1 月 12 月にこんなニュースが流れます。「Boji の新しい飼い主が決まる」。イスタンブール市長のイマモール氏は自身のツイッターにこう書きこんでいます。

"Boji'nin artık rahatlıkla dolaşabileceği, özgürce koşabileceği bir yuvası var. İstanbul'un dünyaca meşhur köpeği Boji'yi sahiplenen iş insanı Ömer Koç'a teşekkürler. Boji'nin, ona zarar vermek isteyen insanlardan uzak, korunaklı, dilediği gibi koşturabileceği bir yuvası olacak."

Boji が安心して歩き回り、自由に走り回れる住みかが見つかりました。イスタンブールのもっとも有名な犬 Boji の飼い主になった Ömer Koç 氏に感謝します。Boji にとっては、危害を加えようとする人間から遠く離れて自由に走り回れる住みかとなります。

トルコ国内で最も大きな規模といわれる合弁会社 Koç Holding の会長である Ömer Koç 氏に引き取られたということです。Boji を温かく見守ってきたイスタンブール市民や動物愛護団体にとってはなんとも複雑な結末となりました。筆者自身も「イスタンブールのコミューター」としての Boji をツイッターやインスタグラムでもはや見ることができないことに寂しさを感じています。

さて、野良犬から飼い犬になった Boji は幸せなのでしょうか。これは Boji に聞くしかないですね。でも都会の喧騒や人混みが大好きで、そして人並 (犬並?) 外れた優れたナビゲーション能力を持つ多才な Boji にとっては、飼い犬としての日常は物足りないことかもしれません。

変わっていくイスタンブールの姿

いずれにしても、動物たちが自由に街を行き巡っているイスタンブール市内の様子もこうして少しずつ様変わりしています。今回は Boji のケースを例にとりましたが、筆者が最近訪ねたイスタンブール市内は以前とは明らかに様子が違っていました。路上で生活する動物 (とりわけ犬) の数が少なくなっています。これが冬だからなのか、コロナだからなのか、例のエルドアン大統領の発言を受けてなのか、あるいはまったく別の理由からなのか...現時点でははっきりしません。

ただし筆者が今回インタビューを行った幾人かの地元のトルコ人たちのコメントから判断しますと、昨年の後半から加速したトルコリラ大暴落は路上の動物たちにかなり大きな影響を与え始めていますし、これからも与えていくと思います。キャットフードやドッグフードは 2 倍近い値上げ。誰もが気軽に餌を買うことはできなくなりました。人間でさえ安い食料を求めて列を作るトルコの現状。路上の動物たちに餌が与えられることに不満を感じる声も今後さらに高くなっていきそうです。とりわけサイズが小さい猫より大きい犬のほうが餌をたくさん食べますし、猫に比べて「迫害」されやすい対象だといえます。

古き良きイスタンブールの伝統を守るカドゥキョイ

イスタンブールは自治体と住民が手と手を取り合って路上の動物たちを世話している特別な都市。動物愛護団体などの活動も活発です。イスタンブールのアジア側にあるカドゥキョイの Moda (モーダ) というエリアでは、動物愛護団体がとりわけ活発に活動しています。今回のエルドアン大統領の発言を受けてデモが行われたのもこのエリア。

今回インタビューに答えてくださったロシア人のマリアさんとトルコ人のご主人メメットさんも愛護団体のメンバーです。 Moda 地区でペットショップを営んでおられます。5 人のお子さんを抱えて、トルコリラ大暴落の影響を日々受けていると話しておられました。それでも、路上の動物たちには私たち人間と同じように食べ物が与えられる必要があるといいます。

IMG_1864.JPG筆者撮影 ‐ カドゥキョイの Moda 地区でペットショップを営むマリアさんとメメットさん。

すぐに気づきますが、カドゥキョイはイスタンブールの他のエリアと比べて犬や猫の数が圧倒的に多い。これは、動物愛護団体がこのエリアで積極的に声をあげているからだそうです。実際イスタンブールの他のエリアからカドゥキョイに動物を持ってくる (つまり捨てに来る) 人もいるのだとか。捨てに来るといっても、もともと野良なのですから「捨てる」という表現はそぐわないかもしれませんが...。いずれにしても、カドゥキョイでは「古き良き」イスタンブールのあの独特の雰囲気が今なお街中に漂っています。

しかし、長きにわたって路上の犬猫たちが自由を謳歌してきたイスタンブールの姿が変わる日も近いのかもしれません。声なき生き物たちをどこまでどのように世話し守っていくか...。トルコで現在巻き起こっている論議はこれからも続きそうです。

 

Profile

著者プロフィール
木村菜穂子

中東在住歴13年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半滞在した後、現在はトルコ在住4年目。メインはシリア難民に関わる活動で、中東で習得したアラビア語(Levantine Arabic)を駆使しながらトルコに住むシリア難民と関わる日々。

公式HP:https://picturesque-jordan.com

ブログ:月の砂漠―ヨルダンからA Wanderer in Wonderland-大和撫子の中東放浪記

Eメール:naoko_kimura[at]picturesque-jordan.com

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