「史上最強の副大統領」ディック・チェイニーの光と影
The Rise and Fall of Dick Cheney
チェイニー(左)はブッシュ(子)政権で外交・国防の主導権を握っていた LARRY DOWNINGーREUTERS
<冷戦後の外交を主導した元副大統領が死去、イラク侵攻の失敗が孤立主義を導いた>
▼目次
歯止めの不在が一因?
史上最強の副大統領として冷戦後の米外交の基盤をつくったディック・チェイニーが11月3日、84歳で死去した。イラク侵攻の致命的ミスと共和党の変質により、晩年はほぼ忘れ去られた存在だった。
2001~09年のブッシュ(子)政権でナンバー2の座にあったが、政権初期の数年間は事実上のトップに君臨した。イラク侵攻や対テロ戦争、さらに冷戦後の米一強時代の多くの政策判断を主導する一方、同盟国を軽視し、時に平和外交を妨害した。
「ネオコン(新保守主義)」の代表格とされるが、チェイニー自身に新しさはなく、むしろ18~19世紀の国家主義・帝国主義的な政治家に近い。国際秩序を再編しようとした彼の戦略は概して失敗した。
チェイニーの政治手法と権力欲は、1970年前後のニクソン大統領時代に形成された。当時、首席補佐官だったドナルド・ラムズフェルドがチェイニーを補佐役に登用。ニクソン辞任後、後任のフォード大統領がラムズフェルドを国防長官に任命すると、チェイニーは史上最年少の34歳で首席補佐官に抜擢された。
ラムズフェルドもチェイニーも、ウォーターゲート事件でのニクソンの失脚を間近で見ていた。だが2人は大統領の権限が強大すぎる「帝国的大統領制」に懸念を抱く世間の反応とは逆に、立法府に不信を募らせ、行政府の権限拡大を信奉するようになった。
89年、ジョージ・ブッシュ(父)大統領はジョン・タワー元上院議員を国防長官に指名したが、飲酒癖が問題視され、上院が承認を拒否。ブッシュは代わりにチェイニーを起用した。
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