ガザの記者が消された意味 本当の物語はもう世界に届かない
Killing the Witness: Gaza’s Journalists and the Global Blueprint of Disappearance
爆発はテントのカンバスと鉄骨を引き裂いただけではなかった。ガザ市で独立報道を続けていた最後の声を奪ったのだ。証人を殺せば、物語も死ぬ。物語が死ねば、説明責任も消える。これは孤立した悲劇ではなく、ガザを現代戦争史上ジャーナリストにとって最も危険な場所にしてきたお決まりのパターンの一部だ。
複数の記者が意図的に殺害された前例がないわけではない。1975年には、オーストラリアのテレビ局のスタッフ5人が東ティモールのパリボという町で殺害された。東ティモール侵攻の現場を報じられるのを防ぐためインドネシア軍が計画的に殺害したのだ。
フィリピンのミンダナオ島マギンダナオ州では2009年、地元権力者に選挙で挑もうとする勢力への警告として、取材していた記者32人を含む58人が虐殺された。
シリア内戦中の2012年には、反政府勢力の拠点ホムスから人道危機の模様を伝えていたアメリカ人特派員マリー・コルヴィンが、臨時のメディアセンターへのシリア軍の砲撃で死亡した。
ナチス・ドイツやスターリン期のソ連では、多くの記者が国家の物語に逆らったために投獄、追放、処刑され、より大規模な粛清や戦時の残虐行為の中に埋もれた。
今回のガザのテント攻撃は、この暗い系譜に連なる計画的な行為であり、「何者も生きて立ち入れない場所がある」というメッセージを世界に轟かせた。