最新記事
米政治

「トランプのスピーチ」は計算され尽くした政治工学の産物?

Trump's Speech

2025年5月8日(木)15時30分
江藤洋一(弁護士)

「反ユダヤ主義」というレッテルの賞味期限

さて、その上で、トランプ発言に関連して言うならば、ユダヤ人の被害者意識よりも欧米人の加害者意識にまず着目したい。加害者意識に付随する罪障感、後ろめたさが問題なのだ。先にみたように、イスラエルのガザ侵攻に抗議するデモは「反ユダヤ主義」でも何でもない。しかるに、トランプ氏はこれを取り締まらない大学当局の姿勢を「反ユダヤ主義」と言ってなじる。この馬鹿げた非難を、某大学関係者がマッカーシー旋風になぞらえたが、実に言い得て妙だ。マッカーシーが引き起こした「共産主義者」狩りは、トランプ氏の「反ユダヤ主義」というレッテル同様、何ら事実的根拠に基づいていない。そもそも事実的根拠に基づかず差別や偏見を増幅した心理的実態を表現するものとして「反ユダヤ主義」という言葉が生まれた。その言葉を、トランプ氏は、今度はレッテルとして全く事実的根拠のない事態に貼り付けた。

だがそれにしても、トランプ氏はなぜ事実的根拠のない「反ユダヤ主義」なるレッテルを、ハーバードをはじめとする大学に貼り付けたのだろうか。他でもない、欧米人の心に潜むユダヤ人に対する罪障感、後ろめたさが関係している、というのが筆者の見立てだ。ひょっとしたら無意識的かもしれないこの罪障感、後ろめたさは、「反ユダヤ主義」というレッテルに一瞬たじろぐ要因になるかもしれない。たじろがないまでも、一歩いや半歩心理的に後退させる力になるかもしれない。それで十分なのだ。トランプ氏の政治工学に組み込まれた心理学は、そこまで計算しているとしたら、彼の関税政策よりもはるかに緻密だ。

トランプ氏が貼り付けたレッテルはいずれ剥がされるだろう。なぜなら、反イスラエルデモはイスラエルのガザ侵攻というまぎれもない事実に基づいており、その抗議には万人とは言わないまでもそれ相応の合理的な支持があり、その支持には「反ユダヤ主義」的思想は含まれておらず、単にイスラエルの目の前の具体的行動に反対しているだけだから。それは自由な民主主義社会が最も尊重する表現の自由の最もありふれた形態だ。その自由を抑圧するなら、アメリカは「自由な民主主義社会」という旗を降ろすしかない。いや、アメリカはそもそも「自由な民主主義社会」ではないのではという疑問を、トランプ氏は世界中にばらまいている。

アメリカは民主主義を実験している――これは筆者の持論だが、表現の自由の認められない社会が民主主義社会であることは難しい。しかし、アメリカがすごすごと民主主義の店じまいをするとは思えない。トランプ氏のレッテル貼りに敢然と立ち向かうハーバード大学にエールを送りたい。

自由とは己の勝手気ままだと信じて疑わない人がいる。残念だがその信念は誤っている。あなたの自由はあなたの隣人の自由に優先しないし大きくもない。それを自由の相互性(reciprocity)というが、それはあなたの自由が尊重されていることに他ならない。だからこそ、この相互性を互恵と呼ぶことがある。実際、それ以上のものを他人に要求することは何某かの特権なしには不可能だ。民主主義社会とは、そして民主主義社会の自由とは、そうした特権を最小限化することによって正統に成り立つ。そして、内実の伴わないレッテルを剥がす復元力が備わっていることにこそ、民主主義の真価がある。


筆者は第一東京弁護士会所属の弁護士。大分県生まれ、一橋大学経済学部卒。1978年弁護士登録。日弁連副会長、関東弁護士会連合会理事長、第一東京弁護士会会長などを歴任。

ニューズウィーク日本版 世界も「老害」戦争
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年11月25日号(11月18日発売)は「世界も『老害』戦争」特集。アメリカやヨーロッパでも若者が高齢者の「犠牲」に

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:動き出したECB次期執行部人事、多様性欠

ビジネス

米国株式市場=ダウ493ドル高、12月利下げ観測で

ビジネス

NY外為市場=円急伸、財務相が介入示唆 NY連銀総

ワールド

トランプ氏、マムダニ次期NY市長と初会談 「多くの
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 2
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 3
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワイトカラー」は大量に人余り...変わる日本の職業選択
  • 4
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 5
    中国の新空母「福建」の力は如何ほどか? 空母3隻体…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    ロシアのウクライナ侵攻、「地球規模の被害」を生ん…
  • 8
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 9
    「裸同然」と批判も...レギンス注意でジム退館処分、…
  • 10
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 7
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 8
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 9
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 10
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中