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「トランプのスピーチ」は計算され尽くした政治工学の産物?

Trump's Speech

2025年5月8日(木)15時30分
江藤洋一(弁護士)

「反ユダヤ主義」の実態

最近のニュースで、海外メディアにマイクを突きつけられたイスラエルの青年が、自分の祖父がアウシュビッツで殺されたことを強く主張していた。青年の気持ちは分からぬではないが、アウシュビッツの惨事はイスラエル軍がガザの民間人をほぼ無差別に殺傷することを正当化するものではない。正当防衛や報復は限られた時空間の中で限られた対象に対してのみ許される。多くのユダヤ人がナチスドイツのもとでどれだけ悲惨な迫害を受けたとしても、パレスチナの人々が、その身代わりになって犠牲を被らなければならない理由はなにひとつない。

また、イスラエルのガザ攻撃が何某かの(違法)行為に対する報復、反撃であったとしても、だからと言ってどのような報復も無際限に許されるものではない。そのような報復がいつまでどの範囲で許されるかについて、国際的に画一な基準が定められているわけではない。パレスチナ側が数十年前のイスラエルの非行に対する報復としてイスラエル人を人質に取ったことが正当化されるわけではないが、それでもイスラエルのガザに対する攻撃は、その過剰性においてもその目的性においても違法だとする考え方はあり得る。

こうした見解に従って、反イスラエルデモを行うことは、表現の自由として当然許されることだ。それは、民主主義社会の最も基底的な自由だし、それを失えば自由な民主主義社会とは言えない。政権批判をした反政府勢力の指導者が毒殺されたり、共産党政権を批判しあるいは批判しないまでも人権を主張した弁護士が行方不明になる、つまり政府によって拉致される国は、いかに経済が繁栄しようが自由な国ではない。

トランプ氏はイスラエルのガザに対する無差別な攻撃に抗議するデモを「反ユダヤ主義」だとなじっている。そして、そのデモを取り締まらない大学に対する教育助成金を打ち切ると言って脅している。これでは、自由のない権威主義国家と言われてもやむを得ない。

そもそも、「反ユダヤ主義」とは何なのか。そこに何か歴史的な実態があったのだろうか。あったという地点から出発しよう。ユダヤ人に関する根拠のない、あるいは不確かな風聞、言説(例えば「この国はユダヤ人によって支配されている」だとか「この国の金融はユダヤ人によって牛耳られている」等々)が、単なる個人的な主張に止まらず、社会的な勢力になった場合に共有される心理状態を、ここでは「反ユダヤ主義」(の実態)と定義しておこう。

例えば、筆者が昔手にした「ユダヤ人」という書物の中で、奴隷商人にユダヤ人が多いという趣旨の文章を目にしたことがある。作者の意図に反ユダヤ的なものがあるかどうかは不明である。しかも、「奴隷商人にユダヤ人が多い」かどうかも事実としては不明である。作者の意図は別にして、奴隷商人のなかにユダヤ人が占める割合は事実の問題としてファクトチェックの対象となる。作者はいざ知らず、少なくとも筆者はファクトチェックを済ませてはいない。だからと言って筆者が反ユダヤ的であるとか、「反ユダヤ主義者」であるということにはならない。筆者は少なくともこの点に関し事実無根、あるいは事実か否かが確認されていない言葉を盲信したり、それに動かされているということはないからだ。

だがそれにしても、欧米社会には「反ユダヤ主義」なる実態が事実存在するらしい。その存在の歴史をひもとくことは、筆者の能力を超える。筆者にできることは、先の「反ユダヤ主義」の定義に従って、今私たちの目の前にある事実を率直に見ることだ。とりわけ、トランプ氏のいう「反ユダヤ主義」の中身を精査することだ。

ナチスドイツによって迫害されるよりずっと以前から、おそらくバビロン幽囚からディアスポラ(離散)を経て、その後もユダヤ人は迫害され続けてきた歴史がある。彼らの被害者意識は不可避でもあり共感もできる。ただ、被害者意識は得てして無意識的な特権意識と結びつきやすい。アウシュビッツで祖父を殺された先の青年の発言にも、そうした特権意識(のようなもの)をうっすらと感じさせる。

他方、その被害者意識・特権意識に対応する加害者側の加害者意識はいかなるものだろうか。カール・マルクスはユダヤ人問題について寄稿し、ジャン・ポール・サルトルもユダヤ人について熱く語る。加害者側が抱いた偏見と差別、その歴史も長いが、普遍的価値として人権を受け入れた現代社会(とりわけ欧米の社会)において、それはある種の罪障感、後ろめたさに転化しないだろうか。丁度被害者意識が特権意識に転化しやすいように、加害者意識は罪障感や後ろめたさに転化しないだろうか。

ユダヤ人問題についても欧米史についても素人の筆者にこの問題を語る資格があるとすれば、それは第三者性にある。アダム・スミスの感情道徳論の受け売りになるが、公平な観察者(impartial spectator)である第三者(third party)こそ適正妥当な判断ができるという見立ては、司法の世界ではほぼ常識化している。わが国の最高裁判所も、「公平な裁判所」についてその構成を最も重視している。つまり裁判に訴える人、訴えられる人と関係のない人(第三者性)が裁くのが公平だと言っている。その限度で、筆者にも発言の機会が与えられる。

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