最新記事
イラン

ライシ大統領の死後、イランと中東情勢はどう変わるのか?

WHAT COMES AFTER RAISI?

2024年5月28日(火)15時10分
スコット・ルーカス(国立大学ダブリン校教授)
今年1月、革命防衛隊スレイマニ司令官の追悼式典でのライシ大統領 MORTEZA NIKOUBAZLーNURPHOTOーREUTERS

今年1月、革命防衛隊スレイマニ司令官の追悼式典でのライシ大統領 MORTEZA NIKOUBAZLーNURPHOTOーREUTERS

<大統領が死んでも「イスラム共和国」体制は不変だが、国民の不満は高まりイスラエルの攻撃というリスクが>

大統領と外相を同時に失ったイランの政治はどこに向かうのか。そもそもイブラヒム・ライシ大統領とはどんな人物だったのか。これでイランは、そして中東全域の情勢は一段と不安定になるのだろうか。中東問題に詳しいアイルランド国立大学ダブリン校のスコット・ルーカス教授に聞いた。

◇ ◇ ◇


■ライシはどんな人物だったのか

初代最高指導者ルホラ・ホメイニ師の忠実な弟子だった。1980年代に法曹界で出世し、政治犯への量刑を決める「死の委員会」の一員として頭角を現した。

この委員会はイラン・イラク戦争の終結した88年に数千人(正確な人数は不明)の収監者に死刑を科した。人権団体の推定では、少なめに見積もっても約5000人の男女が処刑され、人道に対する罪と非難されている。ライシ自身は死刑宣告への個人的関与を否定しているが、ホメイニによる宗教的な指示を根拠に、全ての処刑は正当なものだったと述べてもいる。

ライシは司法府副長官、検事総長、さらに司法府長官を歴任した。不正を厳しく取り締まる指導者というイメージを形成しながら、体制に反対する勢力の粛清にも熱心だった。2016年には莫大な資金を動かす慈善団体アスタン・クッズ・ラザビの「管理人兼議長」に指名されている。

21年6月には大統領選に出馬して勝利し、国政トップの座を保守強硬派に取り戻した。まずは予想どおりの展開だった。なにしろ最高指導者アリ・ハメネイ師の「お墨付き」があったから、宗教界の指導層は一致してライシを支援し、ライバルたちを蹴落とした。

■国家体制への打撃はあるか

ライシはハメネイに忠実な存在とされ、代わって汚れ役を引き受ける場面が多かった。政界では凡庸で力不足と評されがちだったが、それでも次期最高指導者の有力候補と見なされていた。

しかし、彼が死んでもイランの国家体制に大した影響はなさそうだ。もともとハメネイと革命防衛隊、そして宗教的強硬派の意思を代弁するだけの存在だったからだ。

むしろ厄介なのは、今度の臨時大統領選で身内の争いを最低限に抑えることだろう。もちろん改革派や中道派の候補は排除し、抗議行動は徹底的に抑え込むはずだ。

■事故後にハメネイは「国政に混乱はない」と語ったが......

その声明は、最高指導者が国民に「混乱」を避けるよう呼びかけたものと理解すべきだろう。思い起こせば、09年の大統領選後には開票結果をめぐって全国各地で抗議行動が起きた。あのときは大方の予想を裏切って現職マフムード・アハマディネジャドの勝利が宣言されたので騒乱状態となり、何千人もが逮捕された。街頭で、あるいは収監先で何十人もが命を落とした。

ハメネイとしては、今のイランは「万事順調」と言いたいのだろう。しかし現実のイラン経済は深刻な状況にあり、地域の緊張も高まっている。国際社会の制裁も効いている。通貨の価値はひどく下がっており、18年当時に比べて93%も安くなっている。インフレ率は公式発表でも40%超で、失業率も高い。特に若年層では深刻だ。

体制側は一貫して、身柄の拘束や脅迫を通じて抗議を抑え込もうとしている。だが改革を求める声は今も各方面から上がっている。特に女性へのヒジャブ着用強制に反発する22年秋以来の抗議行動は激しかった。当局は中道派の声も封じようとしているが、これには世論の批判も強い。今では前大統領のハサン・ロウハニも批判する側に回っている。

■後継者は誰か

大統領が任期半ばで死亡した場合、憲法の規定では、第1副大統領が最高指導者の同意を得た上で50日間、大統領職を代行する。規定上、現職の第1副大統領モハマド・モクベルが大統領代行を務める。そして、この暫定期間の最終日に大統領選挙が実施される。

この選挙の手続きは通常よりも簡略化される。12人で構成する監督者評議会が候補者を審査し、ふさわしくないとされた者は立候補できない。だから中道派や改革派の有力候補は事前に排除され、結局は保守派と強硬派の一騎打ちとなる。

今後は両派が、最高指導者の「お墨付き」を得ようとして争うだろう。ライシが大統領になってからは強硬派の天下となり、保守派は脇に押しやられていた。しかし、現時点で強硬派には有力な候補がいない。

対して保守派には国会議長のモハマド・バケル・ガリバフがいる。25年も前から政界の第一線で活躍してきた人物だが、過去に2回の大統領選で敗退しているのが難点で、強硬派に受け入れられるとは思えない。

■ライシの死は中東および世界の安定にとってどんな意味を持つか

体制側としては、政局が落ち着くまで余計な混乱は避けたいところだ。死亡したアミール・アブドラヒアン外相の後継者も早く決めなければならない。彼はイラン政府の主張を世界に発信し、経済制裁の影響を少しでも和らげるために重要な役割を果たしてきた。

気がかりなのはイスラエルの出方だ。あの国はガザ地区での戦闘を続ける一方、内政面ではネタニヤフ首相の進退をめぐって緊張感が高まっている。だからこそ、この機に乗じてイランの関係先に対する乱暴な攻撃に打って出る恐れがある。シリアにいる革命防衛隊の指揮官や、レバノンにいるシーア派武装組織ヒズボラ幹部の暗殺などだ。

The Conversation

Scott Lucas, Professor of International Politics, Clinton Institute, University College Dublin

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


ニューズウィーク日本版 高市早苗研究
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年11月4日/11日号(10月28日発売)は「高市早苗研究」特集。課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら



あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ハリケーン「メリッサ」、勢力衰えバハマ諸島を北東へ

ワールド

ブラジル、COP30は安全と強調 警察と犯罪組織衝

ワールド

米中首脳会談後の発表、米国農家の「大きな勝利に」 

ビジネス

韓国サムスン電子、第3四半期は32%営業増益 従来
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 3
    コレがなければ「進次郎が首相」?...高市早苗を総理に押し上げた「2つの要因」、流れを変えたカーク「参政党演説」
  • 4
    女性の後を毎晩つけてくるストーカー...1週間後、雨…
  • 5
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 6
    【クイズ】開館が近づく「大エジプト博物館」...総工…
  • 7
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 8
    リチウムイオンバッテリー火災で国家クラウドが炎上─…
  • 9
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 10
    【クイズ】12名が死亡...世界で「最も死者数が多い」…
  • 1
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 2
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 3
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した国は?
  • 4
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 5
    超大物俳優、地下鉄移動も「完璧な溶け込み具合」...…
  • 6
    熊本、東京、千葉...で相次ぐ懸念 「土地の買収=水…
  • 7
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 8
    庭掃除の直後の「信じられない光景」に、家主は大シ…
  • 9
    シンガポール、南シナ海の防衛強化へ自国建造の多任…
  • 10
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 1
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 2
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 5
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ…
  • 6
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 7
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 8
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 9
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 10
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中